らなる堂

音楽

The Catastrophist / Tortoise

ブログのネタにするには結構時期がはずれた盤ですが、まあ適当に。

 

この作品、どうでしょう。わたくしは当然ながら酷評する気はございません。いつもどおり何が言いたいのかわからないことだけ書いておきたいと思います。

トータスのファン/聴き手はトータスというバンドに何を求めているのでしょう?"ポストロック"というあまりにも甘美ながら、非常に曖昧なジャンルに(不本意だとしても)括られながら、いまだに歩みを止めることのない彼らは偉大な存在であると思います。しかしながら、それゆえに迷いが生じているということも彼らは隠すことなく示してきたと思うのです。それは前作の「やっとアイデンティを見出したんだ(笑)」という言葉に表れるように、「トータスという以外何物でもない」という音楽を生み出すのに苦戦しているのでは、と考えます。

前々作の"It's All Around You"は最初にその苦難とぶつかった作品ではないでしょうか。壮大な世界を感じさせるようなサウンドスケープシンセサイザーの大胆な導入、"Dot/Eyes"にみられるようなジェフ・パーカーによる大胆なギターノイズ、彼らは今までの自分たちを超える音楽を作り出そうとしていました。しかしながら、私はこの作品は5回くらいしか聞いておりません。

正直パッとしないからです。

結局のところ、我々は2ndと3rdの焼き増しを願っているというわけでしょうか。んなことは無いと思います。わたくしは前作"Beacons of Ancestorship"が大好きです。爽快な"Prepare your Coffin"、リズムへの執着が生み出した"Gigantes"、ダグ・マッカム節全開な"The Fall of Seven Diamonds Plus One"などなど...正直"It's All Around You"よりも賛否両論だった本作ですが、過去の焼き増しやら原点回帰などとは揶揄したくない作品でありました。トータスの魅力のひとつであるサウンドのソリッドさが非常によく現れた作品です。

わたくしがトータスを聞くのは、ポストロック云々がどーたらということよりも、ドラム、ベース、ギター(ときどき鍵盤・木琴)による演奏者としての主張を極力排した演奏や、ライヒやラリーのようなミニマル性の強い曲想でありながら、どこか熱を帯びた面を感じさせ、ほのかに温かみのあるメロディーに心を打たれる、わたくしがトータスの作品を聞くのは、そういった瞬間を感じてきたからです。

じゃあ今作はどうでしょう。 うーん...

どうも、前々作以前から感じられるこのパッとしない感じは、シンセサイザーの多様に起因している気がします。"The Catastrophist", "Ox Duke", "Gopher Island", "The Clearning Files", "Hot Coffee"が絶対に彼らにしかできない、作れっこない音楽だとは言い難いと思います。まるで80年代のシンセのような、ちょっと安っぽいこのサウンドはどうでしょうか。4thアルバムの"Blackjack"も確かにシンセが重用されていましたが、それよりも勢いが優っていた曲でした。しかしながら今回のシンセの使い方は、彼らのソリッドなサウンドを中和し、個性を失わさせてしまうようなものに聞こえます。別に彼らはギターバンドではありませんし、"Gesceap"はシンセでなくては魅力が損なわれてしまう曲です。おそらく、"Gesceap"はシンセをメインに据えたからこそできた曲ではないでしょうか。なだらかなシンセに、ゴリゴリのファズベースがからむ後半の展開は快感です。このアルバムのハイライトだと言い切れます。

が、"Ox Duke"のストリングスはどうでしょうか。"Hot Coffee"のリードシンセはどうでしょうか。*わたしが聴きたい*トータスのサウンドはここにはありません。

さて、散々文句を言ってきましたが、B面はわたくし結構好きな曲が多いんです。緊張感溢れる"Tessract", ギターのストロークが涼しげな"At Odds With Logic", そして 新境地"Yonder Blue"。そりゃあわたくしがヨラ天大好きなのもありますよ。しかしながら、メロディーメイカーとしての彼らの魅力に溢れすぎた曲です。正直ソリッドさとかどうでも良くなります。歌詞も良いんですよ。

水平線上の太陽の色は とっくに褪せてしまう

夜がやってくるにつれ

でも明日には再び輝くでしょう

わたしはあなたに会いに行こう

その日こそあなたに会いに行こう

 

あなたに会えるまで 涙で海を満たすでしょう

あなたに会えるまで

涙の海に消えるでしょう

あなたに会えなければ

あなたに会えなければ

 

星がまた輝きだしたみたい

星はいつも宇宙にあって 月の周りを巡る

あの幻のような月は わずかに青く光ってる

でも明日になれば 輝きを放つでしょう

あなたに会えた時こそ

正直次作は全部歌入りでもええんちゃうかと思いました(Brave & The Boldは未聴)。

ということで、このアルバムは"Gesceap"と"Yonder Blue"で十分元が取れます。

 

(少なくとも私が)彼らに望んでいた魅力を、彼らは自分たちで壊しに、今度こそ本気で壊しにかかっているのかもしれません。だからThe Catastrophistなのかもしれません。彼らが確信犯的に安っぽい使い方をした可能性も十二分にあります。しかし、The Sea and Cakeはモジュラーシンセを導入することで再び新たな魅力を備えました。まだまだやれるはずですシカゴ音響派(死語)。頑張れ。

 

(追記)

The Sea and Cakeの次作は3ピースやって!?

うせやろ...いつエリックさん脱退したんや... 

ほげほげ

・なんか久しぶりに作りました。まあただのノイズです。部屋を暗くしてお聞きください。

soundcloud.com

なかなかケヴィンシールズ先生のような「壁」サウンドにはなりません。ディレイがGaragebandエフェクターシミュレーターなんで限界があるのは承知ですが。

まともな曲もこれから作っていきたいと考えております。

・こないだ、作った曲のメモをまとめる作業をしました。まあ「曲」と言えるほどのものではないですね。ただのコードの集まりです。私は主題となるメロディーがまったくもって浮かばないタチなので、適当にコードを綴り、それをチラシの裏かなんかに書き残しておくんですけど、だいたい自分すら読めない謎の置き書きとなってしまいます。

こんな感じ↓です

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自分ですらどういう曲なのかさっぱりわからない。それをこういうふうにします↓

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まだ見やすくなった方だとと思ってます。ただまあコードの流れだけ書いてもちゃんとした曲にはなりませんから、ここからが大変ですね。まずGaragebandに録音するために演奏するのに一苦労です。バッキングだけで100回くらいやり直すこともよくあることです。100回やっていろいろ試行錯誤してるわけではなく、100回やりなおしてやっとただコードをなぞるだけのバッキングの録音が終わるというわけです。だめだこりゃ。誰も期待してないとは思いますが、これも練習の一環だとおもっていろいろやっていきたいと考えております。どういうアレンジにするかは全然考えてません。前述のシューゲイザー風ノイズを使うには、コードチェンジの多い曲はやや相性が悪く、コードとの兼ね合いを考えなきゃなあと思っちょります。あんまりジザメリみたいにはしたくない。

youtu.be

エフェクターケースとディレイペダル買ったら制作スピードも上がりそうな気がします。あくまで気がするだけです。ベースの音も気にくわないので、マルチエフェクターでも買わんとどうにもならなさそうです。あー...お金が...

 

・鼻かんだティッシュを洗濯機に放り投げようとしたりしてますが、わたしはとりあえず元気です。なぜか先週はプチアルコール中毒になっておりましたが、なんとかなりました。なんであんなにビールが飲みたくてたまらなかったのかわかりませんが、まあ一時の気の迷いでしょう。

youtu.be

やっぱりストラトじゃなくてSGにすればよかったかなあ...楽器屋にたまたまお手頃価格なのがなかったんだからしょうがないし、わたくしが持ってても似合わないとは承知の上ではあったんですが。たぶんSG買ってたらやっぱストラトにすればよかったとか考えてたでしょうし。

 

うぎゃあー三月が終わるうー

そういえばそういえば

特に意図せず、あたくしという一人称を使ってますが、これは押見修造先生の「女の子になってみたい」という高尚な願望に近いものがあるというわけではなくて、笑点小遊三のフィーリングに近いものと思っていただければと思います。

 

あれ?あたくしって言うのは歌丸だっけ?あれれ?

上等なハチミツに料理をぶちまけるがごとき思想

・やる気がでない…というか大事なことから目を逸らすことに全力を傾けております。一つ奮起して徹夜でやったろおかあと意気込んでみたものの、仮眠がうまく取れず、ただただカフェインの毒に苛まなれただけで終わりました。

明日からやります。本当です。

・そーいえば結局Soundcloudの更新もならず。ダメ人間。ちょっと前までは騒音の寄せ集めみたいなものを作ってたんですけども、最近はその手のものについては何のアイデアも浮かびません。そういう音楽専用のアカウントまで作ったのにね。

・完全に有罪モラトリアム期間です。あと2週間でまたグーグル先生の検索候補の無限回廊を辿る旅が始まりますねえ。肩こりのその先が待っております。しかしながらそれ以上にやっかいな問題がたーくさん控えております。対話する覚悟がまだござんせん。

・そういえばエルフェンリートを今更読みました。もう一体いつの漫画だというくらいの勢いですが、まあいろいろと当時を鑑みると先駆的な面が多いなあ…と思ったら、カバーの単行本の宣伝にはGANTZと書いてありました。すごい時代ですね。前記事の本にも「許されない悪」に対するテーマがありました。この漫画にはそのテーマに対する新たな答えはありません。ごく普通の人間のように、赦しを請い、それを拒絶し、償いを求めることでしか、罪に向き合うことはできまへん。実に人間らしい。

男塾並みの登場人物の復活率の高さには笑うしかありませんでしたけども。傑作だと思います。

ブランキーの浅井さんがナンバーガールのナカケンと、謎の女性ドラマーと組んだINTERCHANGE KILLSが意外と良かったんでびっくりしました。「すぐそこ」という曲です。

ブランキー自体の振り絞るが如き叫びはなく、割と淡々と歌ってるわけなんですけどそれがすごくいいんですね。The Cureっぽさもありキュートです。ブランキーナンバーガールの出会いってすごいですよね。まあ向井秀徳も結構なヤンキー気質だと最近立ち読みした自伝で思うわけです。

ブランキーは「いちご水」が一番好きです。これがブランキーの全てだとは当然言えませんが、ピュアな面が一番詰まっています。あたくしにも死ぬほど好きな人がおりました。今はその人を見てもなんの感情すら浮かびません。

そういうものです。

Apple Musicの一番ダメなところはApple Musicでダウンロードした音楽とTSUTAYAとか自分で買ったりとかした音楽が一緒に管理されるところです。なんでApple Musicでダウンロードした曲を全部消さないと、自分で持ってるCDの曲を入れられないのか。謎仕様。

 

深夜1.5時の唐突な愚痴でございました。

 

 

信原幸宏 / 情動の哲学入門 価値・道徳・生きる意味

読みました。

同じ文章を何度も繰り返し使われ、辟易し、読み終わらずに投げ捨てた。
私が読んだ本・小説・論文を含め最低の文章である。

2018年3月19日現在、Amazonにはこのような身もふたもないレビューしかなく、これじゃあぁんまりだぁということで、適当になんか書いておこうと思います。 おかしな点があったらご指導願います。

 

 

・「情動は悪者か」という小見出しではじまります。情動は悪い働きをなすものとして扱われがちではあるが、理性だけで人は行動を起こすことはできないとし、理性は情動を鍛え、正す"補佐役"であり、人の行動の源泉は情動であるとします。

 これはカントが理性による意志の支配を望むものとしていることと逆です。カントの言説は学びなおすたびに尤もな話だと感じ入りますが、俗に染まったわたくしにとっては理性というものがどんなものか今ひとつピンときません。正直カントの言う理性はカントしか持ち得ないものだったんじゃないかとか思ったりします。こういった理性中心な考え方から(再び)情動を中心とした哲学について考えることをスタートとしているようです(情動とひとくちに言っても何だかわかりませんが、この本ではいわゆる感情が"意識的な"情動として含まれています。普段意識しないような心の動き(?)も情動という言葉に含まれているようです)。

・第1章では、身体がどのように事物の価値的性質(美しい、美味しそうなど)を感受しているのかを新たな説を交えて明かします。ジェームズ=ランゲによる「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」という説やデオナとテロニによる身体的態度説を"乗り越える"試みがなされます。ジェームズ=ランゲ説はアランの幸福論にも登場しておりましたが、やや受け入れ難いものでした。著者による身体の媒体化という考え方はは非常に明快な解釈だと思います。

・第3章で葛藤の話になります。著者は情動と価値判断という構造について説きます。価値判断とは個別的な情動が総合化し整合的に体系・秩序化したものであるといいます。われわれが葛藤するのは、この情動と価値判断の体系が食い違うこと、そして時には情動が価値判断よりも正しいことがあり、この時価値判断は再編を迫られることとなる、としています。

 それでですね、このあと価値判断と理性の関係とか構造とかについて迫るのかと思ったらそういうわけではないんですね。

・第4章ではディレンマの話です。この本では「泣く赤子のディレンマ」ですが、我々がよく聞くのは電車の話ですね。太った男を橋から落とせば線路で工事してる人が助かるとかいう話です。ここで語られるのは悲劇的なディレンマにおいて「どのような情動を抱くのが適切であるか」ということです。

・第5章では道徳的修復とそれに関わる情動についてです。道徳そのものについての話ではありません。第6章では道徳的実践と情動の役割です。道徳そのものについての話ではありません。

 どうもわたくしは思い違いをしていたようで、情動が何を正しいと感じるのかとか、情動や価値判断がどのように道徳や理性と関わっているのかとかなど、情動と理性、道徳の直接的な関係が書かれているのかと思ったんですが、この本はむしろ「道徳的な行為」に対する情動の適切なあり方や、「道徳的な行為」がなされる動機となる情動のはたらきについてがメインであるようです。

 まあ、これはわたくしの勝手な思い違いですし、「道徳的な行為」がなされる構造を知ることも道徳の形成やあり方を知るアプローチへと繋がりゆくものだと思います。そもそも、理性というものは考えれば考えるほど深みにハマる泥沼のようなものだと(勝手に)思っているので、著者が第3章で“理性と情動”ではなく“価値判断と情動”という構造として思考を試みたことは巧みな判断だと考えています。

・第7章の感情労働については非常に重要です。感情労働が孕む、隷属化による尊厳の侵害と本当にあるべき情動の明確化の妨害という問題について書かれています。感情労働の根本的な解決には我々も“善い客”となることが大事なんじゃないでしょうか。別にいつでも誰でもへりくだって接しろというわけではなく、相手をまるで人と見てないような態度や、不条理な物言いをつけてひれ伏せさせようとする行為をやめるとか。なお「日の名残り」のネタバレがあるので注意。

・第8章の情動価については概ね納得できますが、「病的な情動」についてはどうなんでしょう。夫の行動に対し、何かにつけ浮気の気配を感じ“嫉妬”する妻が例として挙げられていますが、この“嫉妬”という情動が、たとえば「より夫に愛されたい」というより根源的な情動ゆえだったらどうなるでしょう...と思ったんですけど、この著書ではこういうある意味二次的な情動(他の情動について付随する情動)については書かれていないので、疑問としてはふさわしくありませんね。ただまあ、病的と一蹴してしまうのはなんとなく勿体無い問題である気がします。黒歴史のフラッシュバックなんてのは病的なんでしょうか。

・今まで情動というものを介さず(もしくは明確に避けて)考えられてきたことを、情動と世界の関係を捉え直すとともに、改めて考え直していくことを全体を通して見えるテーマだと思います。情動は欲望と同様であり、抑圧すべきものとするのではなく、適切な・あるべき(あやふやな言葉ですが)情動というものを考える重要な試みでありましょう。

・で、最初のレビューについてなんですが、わたくしのような阿呆には相関関係をくどいと思うくらいに書いてもらわないとよくわからなかったりするのでありがたかったりします。疑問が湧いても割とすぐその疑問に対する著者の答えが書いてあったりします。第1部を乗り越えれば割とスラスラ読めるのでは。

ここ何ヶ月かの記録#1

一応音楽のブログですので、個々のページにするほどの言葉をひねり出す元気がないのですが適当に書いてきます。

 

Steely Dan / Aja

キリンジの影響です。プロミュージシャンに任せて自分たちはほとんど作曲、アレンジ、歌とコーラスに専念する方法は珍しいようで珍しくないことはあります。ただ昔はバンド形態だった彼らにとってすれば新しい手法だったんじゃないんですかね。AORというジャンルでくくってもなかなかこれと同じ雰囲気をまとった音楽には会えません。どーしてもミュージシャンのエゴというものが否応無く立ち現れてしまうのです。いや、表現とエゴの問題はまた別の話とするとしても、このアルバムのような良い意味で素っ気なく作られたポップなりロックというのは結構無いんです。ジム・ホールの「アランフェス協奏曲」ですらもバカスカ叩いてたスティーブ・ガッドですらも"Aja"のドラムソロを除けばかなり抑制の効いたプレイです。コード進行はジャズ中心なんだろうけど細かいことはまだよくわかんない。

 

Yo La Tengo / And Then Nothing Turned Itself Inside Out

ノイズギター炸裂が"Cherry Chapstick"しかありません。基本的にはジャケットの写真のような夜とか明け方に聞くアルバムです。ゆったりと時間がすぎていく。アイラのジョアン・ジルベルトをヤンチャにしたような歌声(意味不明)が沁みます。歌詞も物悲しい。"Last Day of Disco"とか。音響的に割と凝っているのも聞き逃せない面です。たゆたっているわたくしを"Cherry Chapstick"が切り裂いて行く。アイラの乱雑かつ適当に引きまくりそれをソロと言い張るかのようなギタープレイにわたくしはどれだけの影響を受けたことでしょう。2回目のコーラスが終わったあとに真ん中のチャンネルから"Chaising a Bee"が如き壊れたギターがさらに侵入。最後の"Night Falls~"は長尺。穏やかなノイズを伴いながら夜へと溶けていきます。

 

Joao Gilberto / Amoroso 

ボサノバ強化期間だったんです。Amorosoはオーケストラを伴ったアレンジとなっております。彼の声とギターをもっと味わいたい方は前作をどうぞ。編曲にクラウス・オガーマンが参加してるのは今調べて知りました。ジョビンのWaveでもそうだったんですけど、弦楽の音がなんとなくシンセサイザー的というか、ちょっと変わった感じなのはなぜでしょうか。"Wave"は「落ち込んだ」の空耳で有名。好きな曲は"Caminhos Cruzados"です。一度練習してみたりも「しましたが、テンションコードの嵐で挫折。これでもましな方だと"Triste"のコード譜を見て知ることになるのですが。ボサノバという枠を超えた普遍性を持って胸に響く曲だと思います。

 

Tortoise / The Catastrophist 

文句中心になりそうなんでこれだけ別にページを割いて書こうと思います。

 

大瀧詠一 / EACH TIME

一番最初に聞いたアルバムがこれというのもだいぶ問題がある気がしますが、ジャケットが一番ピンときたという理由でして。そのときはこれがソロ最終作なんて知らなかったんじゃ、許してつかあさい。風街ろまんを聞いてから、それ以前にYMOを聞きかじってたこともあってか、細野晴臣の作品もしくは彼が関わってきた作品ばかり聞いてきており大瀧詠一はノータッチでした。いやあ、こんなにすごいとは。自分が年をとってきて、ある程度歌謡曲的な進行・アレンジに慣れてきたのもあるんですけど、全然装飾過多とも思いませんし、全ての音に意味を感じます。とうぜん松本隆先生の魔法は素晴らしい。彼が同じく詞を書いた松田聖子の曲においては、「やや奥手な男性とそれをリードしようとするも戸惑いを見せる女性」が中心となったものが多いという研究結果が先日叔父から明かされましたが、この作品においてもややダメ男な感じのある詞が多いように思われます。「ただの脇役だよ ぼくなんてね」という一節にみるわずかな卑屈さ、「気まずいサヨナラを決めたあと 送ってくはずだった」の奥ゆかしさとか。

作曲面ではどうなんでしょう。楽器me先生監修のコード譜を見る限りやっかいなテンションコードは登場してません。わりと平易です。個人的に気になるのは6thコードの存在でしょうか。(わたくしの大好きな)メジャーセブンスを用いたあと、その響きに終止せず6thへ移行します。何も考えず聞いてると特に意識もしないですが、実際に弾いてみると次の展開へ移行するための良いアクセントになっております。まあこんなことは大瀧詠一の曲に限らないことだとは思うんですが。

まあとっとこロンパケ聞けということでございます。しかしはっぴいえんどの「春よ来い」を聞いたあとだとかなりインパクトでかいです。そんなの当たり前だけど。

 

疲れたんでこんなとこ。

 

少しだけ

髪を切ったらやっぱり"君に胸キュン"あたりの坂本龍一先生みたいな髪型になってしまいました。まあしょうがない。

 

また曲の断片みたいなのを作りはじめています。全部響きが鬱っぽいので困っています。"ろっか・まい・べいびい"のような気楽に行こうぜ的な感じを目指しているつもりですが、なかなか上手くいかん。そしてやっぱり詩がのらない。まだまだです。