マーリンの引き際とか結構雑だったりして続編って大変なんだなって思いました。アクションは最高。
◯メッセージ
映画館で見たかった(DVDで見た)。わたくしコミュニケーション不全系(?)の物語にものすごく弱いんです。全てを伝えきることができないとわかっていながらもコミュニケーションを構築しよう、意思を伝えようというその思いだけで泣けてくるし、その意思をなんとしてでも理解しようとする思いにも胸を打たれます。「スローターハウス5」に通じるものを感じたとFilmarksに書いたところ、優しいお方に映画の原作者自身がヴォネガットの言葉を引用した文があると教えていただきました。その節はありがとうございました。
緊迫した展開もあり、純粋にSFものとしても楽しめます。宇宙戦争みたいなのを期待するとアレかもしれませんが(宇宙人とドンパチしないSFはクソだとかこき下ろしてたWeb記事を見てしまい「爆撃すんぞコラ!」と久しぶりに激昂してしまった)。
◯There Will Be Blood
いろんな意味でノーカントリーと対をなす作品かもしれない。「欲にまみれた極悪人」と切り捨てることのできないダニエルという男の複雑さ、人間くささに惑い続けました。DVD特典で見ることのできる緻密な時代考証には驚きました。こちらも映画の構造全てをまだ掴みきってない感じがするのでもう一回みたい。畜生VSど畜生のバトルとして鑑賞しても遜色ない気はしますが。石油のごとくドロドロした映画です(苦し紛れ)。ジョニグリのメシアンっぽい音楽も素晴らしかった。
それとラスボスに挑む時は物理スキルをしっかり上げてからにしましょう。
君もこの映画を見てミルクシェイクの会(非公式ファンクラブ)に入会しよう!
◯The Master
これは(全裸スケスケカメラシーンも含めて)好きなシーンが多くて困るのです。ホアキン・フェニックスにハマったきっかけにもなりました。カルト教団という「船」に身を寄せあいながらも、一枚岩ではない信者たちの人間模様や、フレディの心が離れていく様はモデルとなった教団を絶対的な悪とも善とも描かない姿勢が見て取れるようで面白かったです。フレディが少しずつ過去と折り合いをつけるとともにランカスターとの関係性も変遷してゆく。そして宿命的な別れに至るわけですが、そのラストシーンが愛に溢れていてもう何度見ても素晴らしい。
The Master Favorite Scene Philip Seymour Hoffman
フィリップ・シーモア・ホフマンがとっくに逝去したあとで観たのでつらいです。
まちゃ野郎町山おじさんによる解説も面白いのでぜひ。
町山智浩の映画塾!「ザ・マスター」<復習編> 【WOWOW】#125
◯T2 トレインスポッティング
文句なしに面白い。僕にとってのユアン・マクレガーは高い人間性と能力を兼ね備えたジェダイ・マスターなので、もう二度とあの痩せぎすのヤク中青年に見えることはないんじゃないかと思ってたんですけど、そんなことはなく。すっかりおじさんになったシック・ボーイやスパッドと絡み出すとあの愛すべきダメ人間たちが帰ってきてくれたことがよくわかります。あの頃と同じように財布を盗みまくったりサッカーに熱狂したり酒におぼれたり好き放題過ごそうとする彼らですが、もはや「人生を選ばない」なんていう選択のできない時代をどこかで感じ取っているようにも見えます。差別的思想への傾倒や、SNSによるエゴの肥大など、空虚さにますます磨きのかかるイギリスの世相を反映したリアルさは流石です。はちゃめちゃな彼らが4人集まって仲良く酒を飲み昔を語り合う...なんて甘いノスタルジーは一切ありません。自分の息子が選んだ選択を肯定し、対決に挑むベグビーの姿に泣きました。彼らが再びそれぞれの人生を選んでいく(一人は「選ばされた」ヤツですが)姿にはかすかな希望を感じました。
うってかわってこちらはアメリカの話。自分の身を投げ打ってもいいと言えるほどの存在・人々に出会いたいと思えました。大事なことは、そうした存在を見つけられるかということよりも、そうした心持ちになれるほど自分の精神的な障壁を下げていく・取り払うことができるかどうかだと思います。古い価値観の押し付けじゃねえの?と感じなくもないシーンもありましたが、コワルスキーの最期はそうした価値観からの解放ともとれるような気がします。クリント・イーストウッド本人歌唱によるEDも必聴。
◯ジョーカー
恐ろしいほど冗長かつ何を言ってるかわからない考察文という名のめちゃくちゃな思考の断片を書き連ねることになりそうなので控えます。何より言いたいことは、初めてジョーカーのポージングをとるシーンで泣きそうになったこと、観終わったあとになんとなく心が清涼感で満たされたということです。こんな経験初めてやで。
◯HEAT
やっぱ自分は90年代の映画が好きなんだということを自覚しました。発展途上の街のCG、リアルさを追求した銃撃戦など...あんまりフェティシズムで映画を語らないようにしたいと菊地成孔先生のインタビュー記事を読んで思ったんですけど、渋いおっさんがぞろぞろ出てくるクライム映画にはどうしても弱いので。でも「ゴッドファーザー」観たあとの方がもっと面白く見れたかもしれない(映画の内容には一切関係ないです)。ニールの最期にはもうちょい救いがあってもよかったとは思いましたが、アマプラでタダ同然で観たのが申し訳なくなるぐらい面白かったです。
◯ボーダーライン
うおお...重てえ...内容の重さもさることながら、チームを率いる捜査官と謎コロンビア人もどこまで信用していいのかわからないし、のっけから「メキシコ警察は信用するな(絶望)」「警察の制服を着たヤツを信用するな(絶望)」という右も左も安心できない状況下での緊迫感というのが...もう...重たい...。ヨハン・ヨハンソンによる音楽も緊張感を嫌でも上げてくるんです。最後まで救いのない展開。え...!?現実はもっとヤバいって...!?やだこわい...やめてください... ベニチオ・デル・トロ最高。
◯サタンタンゴ
うおお...7時間...。もうこれに関してはFilmarksの駄文を読んでいただくしかない。
https://filmarks.com/movies/55578/reviews/74303428
自分で書いておきながらあれですが、この映画の中心的な構造に「円環」が据えられることを考えると、酒飲みの医者先生は木材で完全に立てつけた窓を再び開く可能性というのは十分にあるのかもしれないです。まああくまで想像でしかないのですが。白黒というのが景観をうまく殺しており果てしなく虚無です。長回しの多用は自分と登場人物たちの時間だけでなく感覚までも同期されていくような心地となり、それがポジティブなものならばいいんですけど、ぬかるんだ大地とか雨風ふきさらしのトラックの荷台とか猫いじめとか苦痛そのもののようなシーンばかりなので辛い。
製作者はあらゆるシーンに意味を見出すことができますが、観客にはその全てが伝わるとは限りません(伝わってもこれはムダだと罵られることすらもあります)。だから普通の映画ならいろんなシーンをカットしたり撮る前から断念するんでしょうけど、7時間超という尺はある意味では「どのシーンも大事だ!意味があるんだ!」という製作者のエゴ夢を実現した作品といえるのではないでしょーか。私としては確かにどのシーンも価値のあるものに映りましたし(途中10分くらい寝ましたけど)、これでもまだ伝え足りないことがあるのではないかと感じるくらいです。
「これに関しては...」とか前置きしておきながら結局長々と書いてるやんけ
◯バスキア
ボウイの存在感がすごすぎて。ボウイの演技はいつものボウイそのものにしか見えないけど(普段よりはちょっと淡白そうに見える気もするが)、それがしっくりきているというのだから不思議なものです。理解される人々が去っていき、少しずつ孤独に身を埋めていく天才の姿。若くてファンキーなベニチオ・デル・トロが素晴らしい。ラストは彼に救われました。でも結局バスキア展は行ってません...だってグラフィティアートとかよくわかんないんだもん...
コマンドー at ホームセンター。19秒設定がいつのまにかどっか行っちゃったのが残念ではあったけど主役は理想の大人そのものなので安心して見れます。
また長くなったのでその3へ。これ年内に終わるのかねえ...