らなる堂

音楽

思考メモ

http://manchesterartgallery.org/blog/presenting-the-female-body-challenging-a-victorian-fantasy/

 

問題提起はいつでも大事なことです。その行為が多くの人々から批判を浴びうるものだということはきっと想定されていたのでしょう。昨今の芸術活動はもはや額縁だけの世界ではありません。ダンボールを運び続けるその様すらも、一人の作家が切り取ればそれもまた芸術らしいのです。我々が目にする形がどうあれ、境界線を探り続ける行為は必要でしょう。

 

今回の一件は何を目的としているのかがわかりにくいところがあります。

とりあえず「肉体を性的なモチーフとして用いるヴィクトリア朝の幻想に満ちた絵画が、21世紀の美術館に展示する作品に値するのか」ということでよろしいんですよね? 

公的な機関が、21世紀の倫理に反したものを展示することに対する問題、もしくは公的な機関が物議を醸しそうな作品を展示をすることで、その作品に権威みたいなものを与えて倫理の問題からの脱却を図ろうとしていることへの問題ですか? 

21世紀の美術館がどのようにあるべきかを問うているのでしょうか?

「美術が現代においてもヴィクトリア朝の幻想に囚われている」ことについての批判でしょうか?

 

 

これからの美術館のあり方を考えることは重要なことです。そのあり方を決めるのはキュレーターであり、学芸員であり、観覧者たちです。注目を促し議論を生み出すには、この一件は非常に効果的であったかもしれません。あくまで議論を生み出すという目的については賛同しうるものだと思います。

しかしながら、議論を生み出す手段としてはあまりにも暴力的なものに感じます。撤去という行為は観覧者たちから、その作品が美術館にふさわしいもの(表現されているものだけでなく、展示方法、配置なども含める)であるかどうかという意見について考える機会すらも奪うのではないでしょうか。キュレーターの一存で(一存でなかったとしても)作品の撤去を決められるというのがこれからの美術館のあり方なのでしょうか。

なぜ撤去されなければならなかったのがあの作品だけであったかについても説明不十分ではありませんか? 

芸術とエロティシズムの関係についてはいろんな人が言及なされているのでパス

表現の自由についても大変難しいのでパス

Sonia Boyceの作品展でどのように扱われるのか見ものです。

 

というか、こんなの映像作品としても中途半端じゃありませんか。やるんなら"幻想"に囚われたルネサンス期の作品は全部撤去します、くらいのインパクトが...もうやめます。ごめんなさい。