らなる堂

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信原幸宏 / 情動の哲学入門 価値・道徳・生きる意味

読みました。

同じ文章を何度も繰り返し使われ、辟易し、読み終わらずに投げ捨てた。
私が読んだ本・小説・論文を含め最低の文章である。

2018年3月19日現在、Amazonにはこのような身もふたもないレビューしかなく、これじゃあぁんまりだぁということで、適当になんか書いておこうと思います。 おかしな点があったらご指導願います。

 

 

・「情動は悪者か」という小見出しではじまります。情動は悪い働きをなすものとして扱われがちではあるが、理性だけで人は行動を起こすことはできないとし、理性は情動を鍛え、正す"補佐役"であり、人の行動の源泉は情動であるとします。

 これはカントが理性による意志の支配を望むものとしていることと逆です。カントの言説は学びなおすたびに尤もな話だと感じ入りますが、俗に染まったわたくしにとっては理性というものがどんなものか今ひとつピンときません。正直カントの言う理性はカントしか持ち得ないものだったんじゃないかとか思ったりします。こういった理性中心な考え方から(再び)情動を中心とした哲学について考えることをスタートとしているようです(情動とひとくちに言っても何だかわかりませんが、この本ではいわゆる感情が"意識的な"情動として含まれています。普段意識しないような心の動き(?)も情動という言葉に含まれているようです)。

・第1章では、身体がどのように事物の価値的性質(美しい、美味しそうなど)を感受しているのかを新たな説を交えて明かします。ジェームズ=ランゲによる「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」という説やデオナとテロニによる身体的態度説を"乗り越える"試みがなされます。ジェームズ=ランゲ説はアランの幸福論にも登場しておりましたが、やや受け入れ難いものでした。著者による身体の媒体化という考え方はは非常に明快な解釈だと思います。

・第3章で葛藤の話になります。著者は情動と価値判断という構造について説きます。価値判断とは個別的な情動が総合化し整合的に体系・秩序化したものであるといいます。われわれが葛藤するのは、この情動と価値判断の体系が食い違うこと、そして時には情動が価値判断よりも正しいことがあり、この時価値判断は再編を迫られることとなる、としています。

 それでですね、このあと価値判断と理性の関係とか構造とかについて迫るのかと思ったらそういうわけではないんですね。

・第4章ではディレンマの話です。この本では「泣く赤子のディレンマ」ですが、我々がよく聞くのは電車の話ですね。太った男を橋から落とせば線路で工事してる人が助かるとかいう話です。ここで語られるのは悲劇的なディレンマにおいて「どのような情動を抱くのが適切であるか」ということです。

・第5章では道徳的修復とそれに関わる情動についてです。道徳そのものについての話ではありません。第6章では道徳的実践と情動の役割です。道徳そのものについての話ではありません。

 どうもわたくしは思い違いをしていたようで、情動が何を正しいと感じるのかとか、情動や価値判断がどのように道徳や理性と関わっているのかとかなど、情動と理性、道徳の直接的な関係が書かれているのかと思ったんですが、この本はむしろ「道徳的な行為」に対する情動の適切なあり方や、「道徳的な行為」がなされる動機となる情動のはたらきについてがメインであるようです。

 まあ、これはわたくしの勝手な思い違いですし、「道徳的な行為」がなされる構造を知ることも道徳の形成やあり方を知るアプローチへと繋がりゆくものだと思います。そもそも、理性というものは考えれば考えるほど深みにハマる泥沼のようなものだと(勝手に)思っているので、著者が第3章で“理性と情動”ではなく“価値判断と情動”という構造として思考を試みたことは巧みな判断だと考えています。

・第7章の感情労働については非常に重要です。感情労働が孕む、隷属化による尊厳の侵害と本当にあるべき情動の明確化の妨害という問題について書かれています。感情労働の根本的な解決には我々も“善い客”となることが大事なんじゃないでしょうか。別にいつでも誰でもへりくだって接しろというわけではなく、相手をまるで人と見てないような態度や、不条理な物言いをつけてひれ伏せさせようとする行為をやめるとか。なお「日の名残り」のネタバレがあるので注意。

・第8章の情動価については概ね納得できますが、「病的な情動」についてはどうなんでしょう。夫の行動に対し、何かにつけ浮気の気配を感じ“嫉妬”する妻が例として挙げられていますが、この“嫉妬”という情動が、たとえば「より夫に愛されたい」というより根源的な情動ゆえだったらどうなるでしょう...と思ったんですけど、この著書ではこういうある意味二次的な情動(他の情動について付随する情動)については書かれていないので、疑問としてはふさわしくありませんね。ただまあ、病的と一蹴してしまうのはなんとなく勿体無い問題である気がします。黒歴史のフラッシュバックなんてのは病的なんでしょうか。

・今まで情動というものを介さず(もしくは明確に避けて)考えられてきたことを、情動と世界の関係を捉え直すとともに、改めて考え直していくことを全体を通して見えるテーマだと思います。情動は欲望と同様であり、抑圧すべきものとするのではなく、適切な・あるべき(あやふやな言葉ですが)情動というものを考える重要な試みでありましょう。

・で、最初のレビューについてなんですが、わたくしのような阿呆には相関関係をくどいと思うくらいに書いてもらわないとよくわからなかったりするのでありがたかったりします。疑問が湧いても割とすぐその疑問に対する著者の答えが書いてあったりします。第1部を乗り越えれば割とスラスラ読めるのでは。