らなる堂

音楽

こうしている間にもアフリカでは1分間に60秒が経過している

ここ二週間は開き直って映像作品を見ました。時間のムダとか言われても知らん。

しばらく自堕落に過ごそうと思います。

 

The Boys

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アマプラで絶賛配信中のドラマです。いわゆるダークヒーロー/アンチヒーローものです。直近で見たダークヒーローものだと"ヴェノム"を思い出しますが、だいたいダークヒーローものは主役よりももっと悪いヤツが敵役として登場するので、主役の悪業が薄まって感じられます。そうしないと面白くならないからね、しょうがないね。

"The Boys"の場合は主役よりももっと悪いヤツというのがいません。

...いないというとだいぶ語弊がありますね。要は"全員悪人"ということです。あーでもスターライト(ヒーローの一人)は悪人じゃないしなあ。難しい。

多くの善行を重ねた偉大なヒーローは多少の悪行については許されるのか?というのがテーマです(多少どころでない悪行ばっかり重ねてますけど)。

ふざけたヒーローどもに制裁を加える存在として"The Boys"の苦闘が描かれるという筋書きです。

面白いです。面白いですけど、エピソード1ではそんなに制裁加えてないですね...もっとクズなヒーローどもがボコボコにされるところを見たいのですが、どっちかというと隠し撮りや強請りによって自滅していく様が多いです。ゴアなシーンは多いですけどバイオレンスは思ったより少ないですね。

あとはパチモンスーパーマンこと"ホームランダー"とお目付役の熟女との誰得な歪んだ関係がかなり濃く描かれており、ちょっと吐き気がするうんざりするかもしれません。

いろいろと首を傾げたくなるところもありますが、それも全部エピソード2以降の布石だと信じてます。原作とはだいぶ色合いを変えていることを承知しておけばそれなりに楽しめると思います。ぼくは1日でシーズン1全部見ました(半ギレ)

 

ディア・ハンター

無性にサボりたくなったが居場所がない、じゃあ映画だ!ということで映画館へ突撃。

別にものすごく見たかったわけではないのですが、有名なんで一応見ておこうという気構えで臨みました。

実を言うとこの映画の一番肝心なシーンはYoutubeで見てしまっていたので(同名のインディーバンドの動画を漁っていたらついうっかり)、安心感を持ちながら見ていたわけですが、それでも美しい結婚式・鹿狩りからの戦争への場面転換でだいぶえぐられました。そして戦争以後/以前で確実に変わってしまった個人そのものと友人たちとの関係の描写が凄まじかったです。

名誉に縋るように軍服を着込むマイク、多くのものを失ったスティーブン、戦争に行かなかった友人達。一人堕ち続けたニック。ヘリで助けられたニックと助けられなかったマイクとスティーブンの皮肉とも言える運命の対比がつらい。それでも繋ぎとめようとするマイクの苦闘がさらに辛かった。例の一番肝心なシーンも多くの辛い場面を見てきたからこそ重みが感じられました。"タクシードライバー"は破滅していく個人に焦点が当たっておりましたが、"ディア・ハンター"は誰かが破滅しようとしても関係をつなぎとめようとする他の存在がいるからこそこんなにも胸を締め付けるのでしょう。

 

鑑賞後に考察サイトをいろいろと見ましたけど、マイクが最後に「愛してる」と言ったからってすぐ「ホモなんだろ?」的な邪推をするのはやめた方がいいと思った

 

ラスト・ワルツ

まさかの2回目鑑賞。前日に叔父とザ・バンド話で多少盛り上がったのもあり、なんとなく見たくなったらちょうどやってたので見たというわけです。

1回目鑑賞時は私自身が未熟だったということもあり、マディ・ウォーターズの"マニッシュ・ボーイ" で脱落しかけるという有様でしたが、今回はザ・バンドの聞きどころが自分なりになんとなくわかってきたということもあり再挑戦。

...結局のところ、私自身がへっぽこドラマー兼ギタリストということもありドラムとギターばっかり聞いてたわけなんですが。ロビー・ロバートソンのピッキングハーモニクスはどうやってるんやろなあとかリヴォン・ヘルムは割と走り気味のグルーヴなんやなあとかバスドラこんなに叩きまくってたんやなあなど、感動もへったくりもない見方をしてました。

ガース・ハドソンのキーボードが結構暗躍してることも発見でした。

クラプトンと対比するとロビーのプレイの地味堅実さがよくわかります。自分で隙間をこじあけない感じというか。あんなにインタビュー映像で俺様ぶりを発揮してたのはなんだったのか。

自分の中でいちばんやらかしてしまったのは、キメを何度も要求するあの小太りピチピチシャツのおっさんがジェイムズ・モリソンであることをすっかり忘れていたことです。今回もおっさんがステージからはけた後で思い出すという有様でした。ごめん。

あとディラン様のギターの音がキラキラしていた。感動した。

 

まだザ・バンドにずっぷりとハマることはできてませんが、いっぱい聞きどころを開拓できました。

 

Youtubeに無編集版が挙がってるそうなんですけど、怖くて見れません...リックの腕がなぜあんなにバタついていたのかとかなんて知りたくないよお

 

世紀の光

アピチャッポン(アピチャートポン?)・ウィーラセタクン監督の映画です。彼の名を知ったのは映画ではなく東京都写真美術館で行われてた個展です。「ヤング・ゴースト」という写真の作品が一番良かったんですけど、その他にも自分の父親が何かの治療(透析だったかな?)を受けてる映像とか、タイの人々の生活を撮った作品(アピチャッポン監督本人のギター演奏が音楽として用いられておりこれも良かった)、暗い部屋の映像、ヤシの木と焚き火を重ね合わせた映像、備え付けのヘッドホンを装着して河の映像を見る展示など、割と実験的なことをやってる人なんやなあ〜という印象を受けました。

で、今回満を辞して映画に挑んだわけです。

うーむ...まあ次に見た"ブンミおじさん"がかなり難解なだけあって、こちらはまだすんなりと飲み込めました。

二部構成の映画でした。第一部は農村の病院、第二部は都市部の大型病院です。時代設定は同じなのか異なるのかは明示されません。どちらも基本的には同じ役者さんを使い、病院という舞台の性質は共通させながらも、軸となる人物や物語の展開、そしてそれらをとりまく環境はかなり異なっていました。

シーンの構図は徹底したこだわりが感じられました。特に最後の方の作業場のシーンは個展にあってもおかしくないような映像美でした。

 

登場人物により断片的に語られるテーマは「記憶」「前世」といったものです。いろいろと考えてみると、なんかこう"あり得る世界"みたいなものが描かれているのかなあ。仏像や胸像などのいくつかのモチーフは一部・二部で共通しています。登場人物も置いたり若返ったりするような描写はない。かといって前世というものに対して自覚的であるということもないし、あくまで信仰の一つでしかない(このへんは監督の一歩引いたスピリチュアリズムともいえるようなものを感じる)。

同時に対照的なモチーフも存在するわけです。豊かな自然とコンクリート建築、歯科医と坊さんとの間で交わされる親密な/冷淡な会話、患者との地上/地下でのコミュニケーション、淡い恋心と濃密な関係などなどなど(音楽で言えば大衆歌とドローンでしょうか)。第一部での牧歌的な風景に比べ、第二部ではなんとなく暗澹たる空気すら流れている。格段に現代化された社会に対する揶揄に感じなくもないが、人との繋がりを諦めない登場人物の姿にはほんのりと希望も見える。

対比そのものを対象にしているというよりは、対比を通して何かを表現しようしているんでしょうけど、その何かが見えてこない。それはたぶん明確に見えないように作られているからなんでしょうね。第一部の面影をわずかに残した公園で人々はスポーツに興じ、坊さんたちがラジコンで遊んでいるシーンを見てなにかわかりそうになったけどやっぱりわからなかった。

それにしても、第二部でのおばちゃん1が患者にチャクラを送ってる間、おばちゃん2がずっと客席側を向いていたシーンは迫力がありました。あの演出は一体なんだったんでしょう...

 

ブンミおじさんの森

ブンミおじさんの森(以下ブンおじ)が見たくて来たようなものだったんですけど、思った以上に難解でした。世紀の光のように「あーこれは半分くらい監督の趣味だな」と割り切れるようなシーンがほとんどなく(せいぜい透析と洞窟のシーンくらい?)、脈絡なく全く別の登場人物のシーンが挿入され(あれがおじさんの前世だって初見でわかる人いるの?)、とにかく一筋縄ではいかない映画でした。

この映画についても、"前世"と"記憶"がテーマなんでしょうけど、それについてのメタファーがこれでもかと詰め込まれているだけでなく、アピチャッポン監督のもう一つの重要なテーマ"森"が深く関わっているので、一晩おいた現在でも理解が進みません。たぶん「あれは何を表してるのか」ということを一つ一つ考えてたらキリないです。

 

 

主役であるブンおじは死を悟っています。そのブンおじのもとに先だった奥さんやチューバッカ 精霊となった息子が訪れます。ブンおじは自分の病とそれによる死を、多くの人を戦争で殺した因果であると受け入れながらも、死の後に訪れるであろう孤独に怯えます。

その途中で挿入される前世のシーンは、森についてのイメージ(人々を誘惑し変えるもの?)であるとともに、前世というものの不連続性を表しているものだと思います。前世で起こした行動が現在のブンおじの行動や死という帰結に繋がっているというわけではない。ブンおじは自分を苦しめる病や死の原因が前世にあるということは考えていません。

"世紀の光"でもそうでしたが、登場人物たちが前世や来世について口にすることがあっても、その前世や来世では「どんな人か、どんな状態か」を口にするだけで、現在の状態や行動がそれらに反映されているようなことを期待しているかのような言葉は出てこなかったはずです(たぶん)。前世を通じて経験してきたことも含めた、あらゆる過去を変えられないことに対してのささやかな絶望を感じます。ブンおじはそれゆえに森の深淵で生まれ直すことを選択したんでしょうか?

 

戦争の存在が影を落としているようだけどコレガワカラナイ。ブンおじが未来の夢について話すシーンではそれらしき写真がいくつか出てくるけど、それはブンおじが体験するかもしれなかった苦しみなのか?

前述した個展での「ヤング・ゴースト」についても、タイ独裁政権により傷つけられた村が背景にあることが説明されているが、いろいろと勘ぐって考えないとそれとこれとは何の関係があるの?という疑問ばかり生じてしまう。あくまで一つの要素に過ぎないということだろうか? 次見るときの課題です。

 

ラストのあれはなんでしょう。あれも一つの"あり得る世界"ということでしょうか。ただの幻想でしょうか。

 

あと、エンディングがレディオヘッド直系のギターロックだったのでぜひ聴いてみてください。いい曲です。

youtu.be

 

 

 

例によって今回も校正なしです。支離滅裂なこと書いてるかもしれませんがゆるして。