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内省のための小山田圭吾の問題考証⑤′(片岡大右氏の著作:第4章について)

⑤はこちら

 

小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』第4章を読んでる最中に思ったことや指摘しておきたい事項などをまとめておきます。

あくまで原著の真価は第5章からにあると思うので、サッと流してしまって終わってもいいかとも考えたのですが、どうしても引っかかる箇所があるので、自分のためにも整理しておきたいです。

 

この記事でも『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』については「原著」として表記します。特に表記がないものは原著からの引用になります。

 

・「いじめ」の現実創発性の影響?

 この章では、「いじめ」という言葉が使われた際、それが受け取り手に与える現実創発性の原因がどこにあるかを説明し、小山田の記事や記事で語られたエピソードが実際には「いじめ」ではないのに「いじめ」のように扱われ、「いじめ」文脈や偏見で語られているという問題を解き明かすのが目的だと思います。

 そもそも、片山氏が引用する「いじめ」の現実創発性とは何なのでしょうか...? 間山広朗氏の論説(北澤毅 編、「〈教育〉を社会学する」、学文社、2011年)のうち、最も分かりやすそうな説明は以下の文だと思います。

いじめという概念においてもまた、その概念を使用することが何らかの行為となり、ある現実を構成する。例えば、「暴力と恐喝があった」と述べることと、「暴力と恐喝によるいじめがあった」と述べることは、異なる現実を構成しうる。

(「〈教育〉を社会学する」、p.111)

原著における、片岡氏が説明する「いじめ」の現実創発性の原因は2つです;

①いじめの構造重視

我々がよく聞く教育現場やニュースなどで「いじめの四層構造論」のようなモデルは、「いじめは加害者だけでなく傍観者にも責任がある」という言説も包含しており、解釈次第では加害者・被害者の関与の関係を超えて全ての生徒たちを「いじめ」の当事者(「いじめ」という物語の登場人物)として仕立て上げてしまう。

②いじめ(主に「いじめ自殺」)に関する報道、およびそれによる認識形成

同時に、「いじめ自殺」などのいじめに関する報道は、実際にはトラブルでしかない問題であっても学校内で起こったあらゆる出来事が「いじめ」として扱い、なおかつそれが自殺への主な原因として伝えてしまう。
また、そうした報道が過熱したことで「いじめは死に値するほどの苦しみを生み出し、自殺の原因になりうる」といういじめ認識が形成されている。

片岡氏はこの①と②が同時に生じることで、

 ともあれ、1980年代半ば以降、児童・生徒間に生じる厄介ごとを「いじめ」という解釈格子のもとに理解するよう促す強力な磁場が形成されてしまった。
問題含みの関係にあるふたりがひとたび「いじめっ子/加害者」と「いじめられっ子/被害者」の対立的構図のもとで捉えられると、もはやこのふたりは友人同士とはみなされない。一見すると仲が良い、あるいは同じグループにいるのであれば、「包摂型のいじめ」という説明が用意されている。

 こうして、被害者に加害者が対峙し、その周囲は囃立てる観衆や黙認する傍観者となり、(「四層構造論」)、教師や学校や教育委員会はしばしば事実の隠蔽を画策するといった「よくある話」が成立する。

としており、要は、我々が「いじめ」という言葉を聞いた際に、これまで見聞きした経験を元にして拡大解釈を起こしてしまうともに、その解釈を「いじめ」とは繋がらないような話にも当てはめてしまうということであると思います。


 ただし、これが小山田の「いじめ」脱文脈化につながるかというと話は違ってくると思います。

 まず、①いじめの構造重視ですが、小山田の「いじめ紀行」をはじめとしたエピソードでは小山田がいじめの当事者として語っているという点です(「いじめ紀行」では、小山田はいじめ対象であった「K」に対しての明確ないじめ行為は中高からしなくなったとのことですが、この点についてはまた別の角度から考察します)。

この章だけの話ではありませんが、この本は小山田並びに当時の「いじめ」現場に居合わせた人間への取材が一切行われていないので、小学生時代は加害者側にいたが中学生から傍観者へと立場が変わったのか、それとも小学生時代からすでに傍観者側で、たまたま加害者の行為を手助けしてしまったのか...など実際のところ小山田加害者・被害者の関与の関係の内/外にいたのかが不明です。

 そしてこれは同時に、②のいじめ(主に「いじめ自殺」)に関する報道、およびそれによる認識形成にも関わってくる問題です。小山田の起こした行為が果たして実際にはトラブルでしかない問題だったのか、明確にいじめと言える行為であったのか全く自明ではありません。

 前章での脚注でも記述しましたが、片岡氏は小山田のインタビューを「素直に、偏見なく(p.151)」読んだ際に受けた印象をもとに、いじめ行為ではないとの判断を下しています。しかしながら、こうした読み方はそもそも「2021年炎上時の謝罪の言葉を信じ、小山田圭吾は(少なくとも中高時代は)いじめを行っていない」という信念(悪く言えばバイアス)があってこその印象のように思われます。

そうした片岡氏の印象を裏付けるものがない故に、「『いじめ』という言葉の現実創発性に囚われた故に、小山田はいじめ加害者という烙印を押された」という片岡氏の論を受け入れ難くしていると思います*1

 また、これは別論かもしれませんが、片岡氏は「いじめの四層構造論」のみに着目しており、いじめの「定義」に対してはあまり触れていません。「いじめ」という言葉が拡大解釈され、本来であれば「いじめ」という問題で片付けてはいけない問題が生じてしまう背景には、いじめのモデルよりも、何が「いじめ」で何が「いじめではない」かを分ける定義(もしくは定義の扱われ方)が異常をきたしていることにあるのではないかと思います*2

さらにいえばいじめの現実創発性において、なぜ「いじめ」かどうかを判別する定義よりも先に「いじめの四層構造」のようなモデルが先行して想起されるのか説明はありません。
「今から語るエピソードはいじめの話です」と言われた際、我々は実際のエピソードがいじめ問題でないにも関わらず「いじめ」だと直感で捉えてしまうのでしょうか?エピソードの内容に耳を傾けることなく「いじめの四層構造」を思い浮かべてしまうのでしょうか?

(曖昧であれ)いじめの定義を吹っ飛ばしてしまうほど「いじめ」の現実創発性は強烈なものなのでしょうか?*3

 

 一応、私なりにいじめ定義についても扱っておこうと思います。

片岡氏は原著で、いじめの定義の問題点について以下のように言及しています。

大津の事件を契機として2013年6月に国会で可決成立した「いじめ防止対策推進法」は、「当該行為の対象となった児童などが心身の苦痛を感じているもの」すべてを「いじめ」と定義した。『囚われのいじめ問題』で指摘されるように、被害者の主観を根拠とするこうした定義は、「個人の事情を考慮しているようで、個人の事情を排除」してしまう。というのは「被害者」の時として事後的な申し立てにより、いったいどのような行為が「いじめ」と認定されるのかがわからないこうした定義のもとでは、対策は「いじめになるかもしれないものは一切禁止するしかない」といった画一的な予防措置に向かいがちだからだ。

(p.174)

また、「現実創発性」について前述した間山氏も、「学級」制度が有る限り、生徒が「正当に」別の生徒を「攻撃」する手段が与えられていないのであり、そもそも「加害者」となることすら許されず、(あらゆる生徒の「攻撃」が)一意的に「いじめ」という名の「不当な攻撃」になってしまう構造となっており、被害者の立場を重視したいじめの定義そのものが被害者の救済を困難にしている可能性を指摘しています。

 子どもの発達科学研究所の主席研究員である、和久田学氏も「学校を変えるいじめの科学(2019年、日本評論社)」において、「いじめの境界」が広がり、逆にあいまいさが目立つという問題を取り扱っています。

和久田氏は、ダン・オルヴェウスによる世界的に有名ないじめ定義*4を整理し、3つの要素に分解しています。

①「相手に被害を与える行為」

②「反復性」

③「力の不均衡」

日本におけるいじめ防止対策推進法でのいじめ定義では、「②と③が含まないどころか、その意図を考えて、定義に②と③を含めてしまうことこそがいじめ対応を遅らせる原因になるとしている「学校を変えるいじめの科学」、p.24)」と述べています。

また、①に相当する「心身の苦痛」については次のように述べています。

何しろ、痛みには個人差がある。子供がみずから言ってくれればよいが、そうはいかない。被害を受けている子どもが、自分の被害体験を大人に訴えることは珍しい。

(「学校を変えるいじめの科学」、p.26)

和久田氏は、子供たち自身が自分の直面している状況がいじめかいじめでないか判断できるようないじめの定義が必要であるとし、このオルヴェウスの3要素に、マーラ・ボンズらが提唱したいじめ教育プログラムで用いられているキーワード「不公平な影響*5」を加えた4つの要素を挙げます。

和久田氏は、いじめ防止対策推進法でのいじめ定義(「心身の苦痛」)の定義を尊重した上で、上述した4つの要素のうち「力の不均衡」「不公平な影響」を特に重要な「いじめを深刻化させるキーワード」として教師・生徒の間で共有していくこと(間山氏流に言えば「攻撃」の不当/正当性の境目を理解させること)で、

子どもたちは、友人とのさまざまなトラブルを抱えている。それらの多くは法律の要件に当てはまるが、それをすべて「いじめ」として外部の助けを求めさせるのは難しいし、それは彼らの成長の機会を奪ってしまうという意味で好ましくないことかもしれない。しかし、その延長線上に深刻ないじめがあるのも事実である。だからこそ、この「いじめを深刻化させる2つのキーワード」を共有する意義がある。

(「学校を変えるいじめの科学」、p.34)

としています。

このように、和久田氏が述べたような現行の「いじめ」定義の問題は当然のことながら教育現場においても問題視されていますし、「いじめ」定義の社会におけるアップデートおよび浸透の必要性を訴えていくことで、小山田の「いじめ」脱文脈化を図ることもできたのではないでしょうか。

 

...と言いたいところですが、片岡氏がこの章で言及していない問題があります。小山田の「いじめ」対象が知的障害を持った方であったことです。

 

・小山田によるシンキングエラー、障害者差別の可能性

 加害者が健常者、被害者が障害者という構造は「力の不均衡」という前述したいじめ定義の要素に当てはまってしまいます(「学校を変えるいじめの科学」、p.87)。

また、原著p.121で片岡氏は「箱ティッシュのエピソード」を引用しています。

沢田はね、あと、何だろう......”沢田、ちょっといい話”は結構あるんですけど......超鼻詰まってんですよ。小学校の時は垂れ放題で、中学の時も垂れ放題で、高校の時からポケットティッシュを持ち歩くようになって。進化して、鼻拭いたりするようになって(笑)、『おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。ちょっといい話でしょ?しかもちゃんとビニール紐を箱につけて、首にかけられるようにして、『首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いてきましたよ(笑)。それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという

(p.120)

このエピソードについては「いじめ」か否か判断が分かれるものかと思います。片岡氏のいう「いじめ」の現実創発性に囚われた読者であれば、「ビニール紐を箱につけて、首にかけられるようにして、『首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いてきましたよ」というような言動ですら「いじめ」ではないかと首を傾けてしまいたくなってしまうでしょう。こうした疑念を払い切れないのは何も「いじめ」の現実創発性によるバイアスだけでなく、いじめ加害者の特徴である「シンキング・エラー」の可能性を否定し切れないこともあるのではないかと思います。

先ほど引用した久保田氏によれば、

(...)ボンズらが提唱するいじめの4つのキーワードの1つに「不公平な影響」がある。その「不公平な影響」のために、いじめの加害者は、加害行為をしていてもそのことに気づけない。たとえそれが被害者を痛めつける行為であったとしても、「あれは遊びだった」「自分にはそういうことをしてよい権限がある」「これは指導なのだ」などと考える。これが「シンキング・エラー(間違った考え)」なのである。

「学校を変えるいじめの科学」、p.35)

より疑念を重ねるような見方となってしまいますが、結局のところ小山田氏の「箱ティッシュのエピソード」における行為がそもそも”いい話”ではないという可能性も捨て切れないのです。結局のところこれも被害者たる「沢田」(もしくは「K」)への声に一切触れられていないことに由来するのですが、片岡氏が被害者の声を聞くことなく「沢田」と小山田との関係が「まったく「いじめっ子/いじめられっ子」としてのものではなかった(p.120)」としてしまうことは誤謬なのではないかと思います*6

 加えて気にかかるのは、小山田が「沢田」のことを二度も「バカ」という言葉で持って表現している点です。

「いじめ紀行」では、

僕は沢田のファンになっちゃってたから。でも、だからもう、とにかく凄いんです、こいつのやることは。すっごいバカなんだけど......

(原著、p.119)

『オマエ、バカの世界ってどんな感じなの?』みたいなことが気になったから。なんかそういうことを色々と知りたかった感じで

(原著、p.124)

木村草太氏の「差別のしくみ」(朝日新聞出版、2023年)における差別に関わる概念を以下のように挙げています。

①偏見:人間の類型に対する誤った事実認識

②類型情報無断利用:人種や性別などの所属類型に関する個人情報の無断利用

③主体性否定判断:相手が自律的判断をする主体であることを否定する判断

④差別*7:人間の類型に向けられた否定的な価値観・感情とそれに基づく行為

(「差別のしくみ」、p.14)

小山田の「沢田」への揶揄は、障害者に対する否定的な価値観・感情を明らかにしているものではないでしょうか。

さらに言えば、「バカ」という言葉が障害とその人に関わる言葉であったことにも注意が必要です(生瀬克巳、「障害者と差別表現」、明石書店、1994、p.185)*8

先ほど引用した久保田氏は、「障害者のいじめ被害の問題は、障害者の人権侵害、もしくは障害者差別の問題と絡めて語るべき「学校を変えるいじめの科学」、p.86)」としており、片岡氏についてもこの小山田の問題が健常者対障害者という構図を抱えたことにもっと注記すべきであったのではないかと思います。

 

他、被害者のこと軽視しすぎてないかとか、「東京ガールズブラボー」なら丸玉玉子、「リバーズ・エッジ」だったらハルナの姉の話せなあかんやろとか色々ありますが、一旦ここまでとしておきます。

 

次の章ですが、インフォデミックの原因となったとされるブログの管理者が、次々に自身のブログの名を著書や論文で使った研究者や出版社に対して損害賠償請求を行なっており(当然片岡氏と原著の出版社である集英社も対象にしております、おそらくスラップ訴訟?)、ちょっと様子見が必要かもしれません。

何とか文章制作は続けたいですが、公開まで時間がかかってしまったらすみません。

 

まあこんな零細ブログ見てる方なんてほんのわずかでしょうし、そもそも小山田記事書き始めたのも一年ぶりでしたのでお許しください(謎理論)。

 

 

*1:「いじめ紀行」に話を絞れば、最初に小学生時代の「毒ガス攻撃」のエピソードの時点で、①②を原因とした現実創発性とは別に「小山田はいじめっ子だった」という認識が生じるはずです。

*2:確かに、報道において「いじめ」が扱われる際、わざわざメディア側がいじめ定義を参照して「これはいじめだ」「これはいじめではない」といったような振り分けは行っていないとは思いますが

*3:確かに内容もよく読まずにSNS2ちゃんねるでのコピペで題名や要約だけ読んで「小山田=いじめ」と決めつけられてしまう例が第5章から登場しますが、第4章では「いじめ紀行」などの記事を読んだ人に生じた現実創発性を取り扱っているはずです

*4:「ある生徒が、繰り返し、長期にわたって、一人または複数の生徒による拒否的行動にさらされていること」など

*5:被害者と加害者が受ける影響には不公平が存在すること、被害者はいじめを受けて傷つき、悲しむなどの感情的反応が起こるのに対し、加害者側はこうした反応は起こさず共感性をなくし、「そのくらいのことはしていいのだ」「これは遊びだ」などと考えてしまう(「学校を変えるいじめの科学」、p.31)

*6:まあ片岡氏は小山田の教師ではないのだから、そんな教育現場の次元でのいじめ対策の話をされても困るとは思いますが...

*7:木村草太氏は類型に向けられる否定的な価値観・感情・行為こそが、差別禁止規範の中核的対象であり、「差別の本体」であるとしている(「差別のしくみ」、p.10)

*8:言葉狩りのつもりはまったくありませんが、小山田が「沢田」をこうした表現で指したことは共感性の欠如の現れではないでしょうか

内省のための小山田圭吾の問題考証⑤(片岡大右氏の著作:第4章について)

④はこちら

引き続き、『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』についてのまとめとそれに対する所感を述べます。

 

今更ながら、これまで「本書」= 『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』として呼称しているのですが、正確には「原著」と書くべきだったかもしれません...今回からは「原著」と呼称します。

前回分は全体の内容が一旦纏まり次第訂正しておこうと思います。すみません。

 

1. 「いじめ紀行」は本当にいじめエピソードなのか 

 小山田の、過去にクイック・ジャパン(以下「QJ」)、もしくは小山田がソロデビュー前に行われた「月刊カドカワ」でのインタビューは、知的障害のある生徒との意義深い交流であったことが前章で示された*1

しかしながら、こうしたエピソードが「いじめ紀行」という枠にはめられ紹介されてしまったことで、小山田は「いじめっ子」という扱いを受け、読者もいじめのエピソードとして受け止めてしまったのではないか、と片山は推測する。

 

 片山はここで、「いじめ」という言葉による認識について取り上げる。

(...)「いじめ」や「いじめっ子 / いじめられっ子」といった言葉は、学校生活の中で生じた事実を単に記述するばかりでなく、それらを用いることによって現実を書き換え、新しい現実を生み出すことができるということだ。

(p.153)

(...)悪口や陰口や強要や仲間はずれのような行為、さらには相対的に軽度の身体的暴力については、それを「いじめ」と名指すことで事態の深刻性が強調され、たとえ法律による処罰が難しいとしても、被害者にもたらす精神的な苦痛の点において、許されざる「悪」には違いない何かとして捉えなおされることになる。

(p.153)

片山は小山田に対し炎上時、もしくは炎上後も依然として厳しい視線が向けられているのも、小山田が程度の多少はともなく「いじめ」といえる行為に関与していたことを根拠・共通認識としている故だと指摘し、なぜ我々がこうした「いじめ」という物語に囚われてしまうのかについて掘り下げを行う。

 

2. 「いじめ」の構造と文脈

 片岡はまず、代表的ないじめ構造の定説として森田洋司らによる「いじめの四層構造論」を挙げる。

いじめの四層構造

いじめを発生させない環境づくり | 不機嫌な教室 | 授業に役立つヒント | お役立ち情報コラム | 楽しむ・応募・投稿 | 教職員共済

 

森田はこの構造のうち、特に「傍観者」の役割が大きいものとなるという。

傍観者は、直接課外に関わっている自覚がないとしても、加害を黙認し、歯止めがかからない状況を作り出すことによって、いじめの成立に決定的な役割を果たすのだという。

(原著p.156)

片岡はこうした「傍観者」も巻き込んだ、「傍観者も加害者である」といったような学説は今日日の教育現場に強い影響を与え、森田による「いじめの四層構造論」を知らない人々のもとにも「いじめは傍観者も悪い」「傍観者が一番悪い」といった言い回しとなり広まっているものだとする*2
 しかし、こうした「いじめの四層構造」はあらゆるいじめを説明できるものではない、と片岡は指摘する。
その例として、2021年の旭川市での中学生凍死事件や、2012年の大津市中学生自殺事件を挙げ、こうした例は教室内でいじめが周知され、ある者は「観衆」として、ある者は「傍観者」として見て見ぬふりをするいった図式が適用し難いと、片岡は北澤毅・間山広朗編『囚われのいじめ問題ー未完の大津市中学生自殺事件』内での共同研究を援用する。

 北澤らは、「いじめの四層構造論」の普及のきっかけとなった1986年の「葬式ごっこ」事件の実態を再調査するため、この事件に関わった元生徒らの証言を検証したところ「葬式ごっこといったいじめ被害を受け、結果的に自死に至った」とされる被害者について、自死にいたった苦しみの中心的な原因は同級生にも教師にも見えないところで行われていた身体的暴力であり、校内で行われていた「葬式ごっこ」自体は自死の直接的な原因ではなかったとしている*3

片岡は、改めて「いじめの四層構造論」が、あらゆるいじめ行為に対し全ての生徒たちが関与していることとなってしまうことを説き、

(...)こうした捉え方は、加害責任の所在と程度を曖昧化し、出来事にほとんどあるいはまったく関わっていなかった人びとの責任を不当にまたは過激に問うことになりかねないという問題がある。

(p.162)

それ故、「いじめの四層構造論」のようなフォーマットは、多様かつ複雑な生徒間のあらゆるトラブルを、あらゆる生徒たちに対して「いじめ」に関与しているとすることができるため、「いじめ自殺」などのいじめに関する報道が生じた際にはこうしたフォーマットをもとに「いじめ」が語られることで、(実際にはトラブルでしかない問題であっても)いじめが被害者の命に関わった原因として解釈されてしまい、なおかつ加害者・被害者の関与の関係を超えて全ての生徒たちを「いじめ」の当事者(いじめ物語の登場人物)として仕立て上げられてしまうという問題を指摘する。

そして、小山田圭吾も「いじめ紀行」の取材を引き受けることで、「いじめの四層構造論」の通りいじめ物語の登場人物となってしまったのではないか、「いじめ紀行」という枠組みのなかで、いじめと関係のないエピソードを素直に読むことができないのはそうした「いじめ」に関わる囚われがあるためであるとする*4

 

 次に片岡は、国語辞典における「いじめ」という言葉が明治時代から90年代にかけて、とりわけ学校との関わりで用いられることになったという変遷に着目し、この原因として80年代における報道では、学校の主要な問題(校内暴力など)を「いじめ」という言葉のもとに捉える方向に向かっていったことを挙げる。
そして1985年において、水戸市にていじめを苦にした中学2年生の女子が自殺する事件が発生し、朝日新聞が「死を呼ぶ”いじめ”」と報じたことをはじめとして、『いじめは死に値するほどの苦しみを生み出し、自殺の原因になり得る』といういじめ認識が確立していったとする。
 また、片岡はこうした社会の動きと小山田への注目は大いに関係があると指摘している。小山田の「いじめ紀行」の取材の背景には愛知県におけるいじめ自殺を背景としており、以後の小山田のいじめ問題を蒸し返す以後の動きは、2004年における蕨市の中学2年生女子の自殺事件や、2006年前後に連続して発生した一連のいじめ自殺事件*5に触発されたものと考察する。

しかしながら、教育社会学者の伊藤茂樹は、こうした(社会に対し小山田への注目の原因となりうる憤激を与えるような)いじめに起因する自殺は「ごく例外的な現象である」としており、こうした自殺報道を確立した『いじめは死に値するほどの苦しみを生み出し、自殺の原因になり得る』といういじめ認識は、問題の予防や解決を妨げる「逆機能」が認められるという。

 片岡は北澤らの共同研究に立ち戻り、上記のようないじめ認識およびそうした認識を基とした言説空間の成立は、子供たちが自身の経験を「いじめ」という枠組みで解釈してしまうことで、かえって苦しみ(あるいは自殺)の原因となっている側面もあるとする。2013年に国会にて成立した「いじめ防止対策推進法」では被害者の主観を根拠としており*6、どのような行為が「いじめ」と認定するのかがわからない定義となってしまっていると北澤は指摘している。

片岡はこうしたいじめ認識により、

ともあれ、1980年代半ば以降、児童・生徒間に生じる厄介ごとを「いじめ」という解釈格子のもとに理解するよう促す強力な磁場が形成されてしまった。
問題含みの関係にあるふたりがひとたび「いじめっ子/加害者」と「いじめられっ子/被害者」の対立的構図のもとで捉えられると、もはやこのふたりは友人同士とはみなされない。一見すると仲が良い、あるいは同じグループにいるのであれば、「包摂型のいじめ」という説明が用意されている。

(p.174)

とする*7

3. フィクションへの「いじめ」の影響と「いじめ紀行」のいじめ描写

 片岡は朝日新聞出版の小説誌「小説トリッパー」の掲載作について取り上げる。そこでは、学校をテーマとした特集回(発刊当時の特集題は「学校の時間」)において、当時寄稿した小説家たち(江國香織角田光代など)全員がいじめをめぐる作品を寄稿してきたことに着目し、

この事実を前にして、作家たちは子どもたちの生活世界の最も厳しい現実にまっすぐ目を向けようとしたのだと考えるべきか、それとも、彼らはいじめをめぐる社会的通念に影響を受けるあまり、大部分は「いじめの向こう側」で営まれているはずの子供たちのありのままの日常を捉えそこねたのだと考えるべきか。

(p.179)

(...)「学校の時間」というお題に全員がいじめをめぐる創作で応えてしまったという事実を前にしては、学校生活をめぐりいつからか共有されるようになった通念に作家たちが十分に抵抗できなかったという、想像力のいわば集合的な敗北の証をそこに認めないでいるのは難しい。

(p.180)

とする*8

 

 次に片岡は、村上清による「いじめ紀行」の、小山田を特集した回に続く、第2回と第3回について取り上げる。
第2回は編集者・ライターの竹熊健太郎を取り上げた回であり、この回では小山田のエピソードよりもいじめられっ子の秘めたる残酷さやいじめっ子への転換を回想しており、「いじめ紀行」の当初の要旨に合った記事ではあるとするも、全体としてはむしろ「いじめの学校生活における位置づけをそれほど大きなものとは感じさせない内容になっている。(p.186)」とする。竹熊のこうした語り口は、いじめ被害を過度に深刻なものと受け止めず、自分の人生において相対化できているためとしている*9

また、第3回のジェフ・ミルズについてはやりとり自体が噛み合っておらず、「いじめ」事態に対してのコメントをほとんど得られなかったのではとしている。

「いじめというものを通り越している」と言うべき米国の暴力的な現実*10を見据えながらも、彼は音楽のような生産的な何かに打ち込むことで新しい現実を切り開こうとしていた。

(p.189)

 

 片岡は結びとして、改めて小山田の問題に立ち返り、

小山田圭吾はいじめ言説の確立以前の小中学生だったことを忘れてはならない。だからここで彼は、「いじめ」とカテゴライズされる行為すべてが、被害者の自死を帰結させかねない倫理的悪とみなされるに至った1990年代の言語空間のなかで、高校時代に交流を深めた学友に小学生の頃に行った、問題含みとはいえ悪意のないー「お詫びと経緯説明」の言葉を用いるなら、「遠慮のない好奇心」に駆り立てられたー振る舞いに、遡及的にその名を与えなければならないものかと自問していたのだと思われる。

(p.191)

「いじめ紀行」をの取材を受けた小山田自身の焦燥をこのように片岡は説明するとともに、我々が(実際には大部分がいじめの話ではない記事で構成された)「いじめ紀行」を読んだ際に、許しがたさを表明せずにいられないと言うのは、私たち自身の囚われの問題・先入観の問題であるとする。

 

所感など

書いてて色々思うことがあったんですが、

長文はそぐわないご時世なので、

別記事にまとめます。

 

 

 

 

*1:原著pp.150-152での記述。「知的障害のある生徒との意義深い交流」はp.151における片山の表現である。他には「特に高校時代の「沢田」に対して、全くいじめっ子として振る舞ってなどいなかったことを理解できたはずだ。(p.152)」など、前章より小山田のインタビューを「素直に、偏見なく(p.151)」読んだ際に受けた片山自身の印象をもとにいじめ行為の否定を行っている。本章以降、片山はこの印象を根拠に、小山田による明確な「いじめ」行為は存在しなかったということを前提として論を進めている点に注意。本記事ではそうした片山本人による印象を否定・再考証することは一旦行わない

*2:「いじめは傍観者も悪い」とする訴えの例はこちらを参照

*3:ただし、少なくとも被害者の自死の直接的な原因であったかどうかに関わらず、「葬式ごっこ」といういじめ行為は、教室という場で、教員も参加した陰惨ないじめ行為であったことが報じられている

*4:小山田が「いじめ紀行」で語った内容がいつの間にか「いじめと関係のないエピソード (p.164)」とされ、加害者からの立場から外されて論じられていることに注意。

*5:滝川市小6いじめ自殺事件福岡中2いじめ自殺事件岐阜県瑞浪市中2いじめ自殺事件

*6:「当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じるもの」

*7:この文について、そもそも片岡がこの章にて、1980年代半ば以降に報道によって形成されたいじめの社会的な認識は『いじめは死に値するほどの苦しみを生み出し、自殺の原因になり得る』というものである。北澤たちはこうした認識のもとにおいて「子供たちが自身の経験を「いじめ」という枠組みで解釈してしまう」としているのであり、片岡の言う「児童・生徒間に生じる厄介ごとを「いじめ」という解釈格子のもとに理解するよう促す強力な磁場」が社会で形成されたかどうかまでは語っていない。また、ここまでの論の要旨と問題点についてはいったん後述することとしたい。

*8:片岡は次に岡崎京子の『東京ガールズブラボー』『リバーズ・エッジ』について触れ、『東京ガールズブラボー』についてはいじめられっ子がいじめを受けているという事実は「日常を構成する諸要素のなかのひとつ、それも重大ではない要素の一つに過ぎなかったのだろうと想像できる(p.181)」)、『リバーズ・エッジ』では主人公の彼氏からいじめを受けている登場人物について「文化的好奇心に満ちた少年の心象風景を、死へと誘う苦しみとしてのいじめ体験を中心に構成するという選択が、ほかのさまざま選択のなかの一つにすぎないということは確認しておきたい(p.182)」としている。
 「いじめが日常を構成する要素の一つ」とする片岡の意見はあまり賛同しがたい。『東京ガールズブラボー』のようにいじめの描写が1-2ページで終わるようなものもあれば、例として押切蓮介の『ミスミソウ』のような全編に渡りいじめ行為が描かれたフィクション作品も当然存在する(こちらは2006〜2007年の作品なので比較として不適当かもしれないが)。

シリアスな空気を全編にまとった『リバース・エッジ』はさておき、ギャグ描写を主体とした『東京ガールズブラボー』の場合は岡崎京子が単に脇役である犬山のび太の描写をあまりフォーカスするつもりがなかっただけではないかと考えられる。

 さらに所感を述べさせていただくと、『東京ガールズブラボー』では小玉玉子というキャラクターによる主人公への嫌がらせ行為とその顛末が上下巻にわたり描写されている。引用するならこちらを用いた方が良かったのではないだろうか…

*9:なお、竹熊氏による小山田の炎上に関するXでのコメントはこちら。竹熊氏は小山田の「いじめ紀行」の受け取られ方については「(...)私の記憶では、90年代前半に流行った「悪趣味」「鬼畜系」ブームの中で、その変種として受容されたのではないかと感じている。(...)」としているのが興味深い。

*10:「いじめ紀行」の中でジェフ・ミルズがDJになってからクラブで銃を乱射されたというエピソードを指す

⚠️注意

小山田圭吾シリーズですが、コンセプトとしては別に本の粗探しをすることがメインではありません。

どこまでが主観/客観と認められそうか、明らかに公平性に問題をきたした箇所がないかを探らないと、この本を元に考察や意見を述べることが難しくなってしまいます。

第5章でようやく本題に入れるかなと思いますし、わたしとしても第5章周りの話をメインに私感や考察を行っていきたいと思っています。

少なくとも、小山田圭吾問題一本で本一冊できたのは本当に心強いというか、大きな意義があると思ってますわたしは。

内省のための小山田圭吾の問題考証④(片岡大右氏の著作:第3章について)

③はこちら

 

引き続き、『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』についてのまとめとそれに対する所感を述べていく。

本章では、ロッキング・オン・ジャパン(以下「ROJ」と略称)での20000字インタビューの翌年に行われたクイック・ジャパン(以下「QJ」と略称)における「いじめ紀行」と題されたインタビューについての考察、2つのインタビューと「鬼畜系」の関係についての考察が主なポイントである。

 

1.「いじめ紀行」について

 片岡はまず「いじめ紀行」が、インタビューが行われた当時の岡崎京子柳美里によるいじめに関する語られ方と異なり、いじめっ子側の心情に注目されていたことを取り上げる。

 当時のライターであった村上清の加害の「楽しさ」「面白さ」に着目した特異性を認めつつ、小山田を特集した「いじめ紀行」は「実に厄介で両義的」「企画の枠組みは大いに問題含み」であったとし、同時に「いじめ紀行」が村上の構成意図に反し、全体としていじめをめぐる記事になっていなかったことを説明する*1

 「いじめ紀行」は記事の語り口も愉快なものではなく、同時に小山田の言葉にも問題を抱えているとする一方で、

けれどもその一方、小山田がそこで語る学校生活のエピソードの多くは、人間的交流記録として非常に興味深く、時に味わい深いものとして読むこともできる。

(p.106)

と評している。

 「両義的」であり、いじめの加害性を主題とした記事とはならなかった理由として、「20000字インタビュー」の小山田によるいじめ発言を真に受けていじめ加害者として注目した村上の企画意図と、「20000字インタビュー」における加害のエピソードを実際には持ち合わせていなかった*2小山田の発言内容に、大きなズレがあることを挙げている。

 

 片岡は次に、 「いじめ紀行」にて小山田は、いじめ行為においての傍観者性の強調を図ったと同時に、「ROJ」での20000字インタビューでの自身の発言及び歪曲されたイメージの修正を図ったのではないかと推測している*3

 また、「いじめ紀行」における、「人間的交流記録として非常に興味深く、時に味わい深いものとして読むこともできる」面について次のように書いている。

(...)「QJ」の記事だけをー「ROJ」の記憶から自由にー素直に読むなら、傍観的に立ち会ったもの以外の加害は極度に凄惨なものではないし、さまざまな同級生との興味深い交流が語られているので、同時代的に読んで必ずしも悪い印象を抱かなかった場合、嫌悪と共感の半ばする印象を抱いた読者も確実に存在するからだ。

(p.115)*4

 

 次の節では、「いじめ紀行」における、小山田がフリッパーズ・ギター時代の1991年に月刊カドカワの記事でも取り上げていた「K」(「いじめ紀行」では「沢田」として扱われている)についてのエピソードを取り上げている。
 片岡は「いじめ紀行」内での「K」のエピソードについて、小山田自身の「お詫びと経緯説明」での説明と照らし合わせた上で*5、「K」は「陰惨な暴力行為」を長期(小学生〜高校生にわたり「沢田」と小山田は接点があった)にわたり受けていたという事実はないこと、当時の小山田が「いじめ紀行」で語った行為は「K」に対して「遠慮のない好奇心」故の行き過ぎた振る舞いであったことを示そうとする。
 また、当初「いじめ紀行」では「いじめっ子」「いじめられっ子」の対談企画が構想されていたが、「沢田」含む「いじめられっ子」側からは全員対談を断られた上で、小山田は「沢田」と再会したいという気持ちがあったこと、「いじめ紀行」のライター村上が当時「沢田」の母親を訪ねた際、

「卒業してから、ひどくなったんですよ*6。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは仲良くやってたと思ってましたけど。」
(p.123)

と語っていたことから、卒業してから「沢田」の状態が変わったのは小山田のような級友との交流がなくなったためだということが証言されていること*7、小山田が「沢田」の現状を知り、彼との交流を振り返った際の言葉から、

(...)高校の頃にはもう少し落ち着いた、一定の敬意を含んだ関心をもって、「沢田」の内的世界を知りたいと望んでいたように思われる。

(p.125)

として、それ故に、村上による構想企画とは別に小山田は「沢田」との再会を望んでいたとする。

 結論として片岡は、こうした「いじめっ子」「いじめられっ子」という関係性とは異なった「K」との交流が「いじめ紀行」という枠組みで話されたからこそ、小山田=いじめの加害者というイメージの定着・増長に繋がったのではないかとしている。

 

2. 「鬼畜系」からの脱コンテクスト化

 片岡は次に、小山田のいじめ発言のコンテクストにあるとされる、今日日「悪趣味系」「鬼畜系」として振り替えられるサブカルチャーとの関係について取り上げる。
 当時の小山田は確かにサブカルチャーへの関心を示していたのは事実であるが、その関心先は「モンド・カルチャー」と呼ばれる潮流であり、過去にも小山田は「モンド・カルチャー」を扱ったテレビ番組や雑誌の取材を行なっていたことを示す。
 その上で、小山田の「ROJ」「QJ」でのいじめを巡る発言について、2021年夏の炎上時にサブカルチャーの関心層の一部から、その発言の背景に「悪趣味系」「鬼畜系」の文脈に寄せて論じる傾向があったことに対し、こうした傾向を「相対化」しようと試みる。

片岡は、鴇田義晴「90年代サブカルチャーと倫理ー村崎百郎論」(「すばる」2022年2月号掲載)、ロマン優光「90年代サブカルの呪い」(コア新書、2019年)を参照しながら、各著者の「鬼畜系」についての評論、及び村崎百郎青山正明根本敬佐川一政の発言などを引用した上で、こうした「鬼畜系」の文脈に引き付けて小山田圭吾のいじめに関する発言を説明することは不適切であるとする。

一例として、ロマン優光が、村崎百郎のゴミ漁りに関するエピソード*8などに対しては「素晴らしい文章によってショーアップされたエンタメ*9」と称賛したにも関わらず、小山田によるいじめ発言に対しては「凄惨極まりないいじめ(障がい者に対するものも含む)について面白おかしく語った」「頭おかしすぎ」と評していることに対し、そのような感受性がどれほど一般的なのか、「私は確信を持てずにいる(本書:p.144)」とする*10

 さらに片岡は、2021年での小山田の炎上を機に、「90年代サブカルの呪い」の小山田に関する箇所が文春オンラインに転載され、それを読んだ良識的な人々も小山田の言動が単に「鬼畜系」の影響下にあっただけでなく、「鬼畜系」の作法を逸脱した危険なものである*11という判断を促したのではないかと推定している*12

片岡は、ロマン優光によるこうした小山田への言及は、小山田との交流が幸福ならざるものだったことに起因し、それ故の偏見なのではないかと推察する*13

 次の章では、いじめを巡る物語として小山田のインタビュー記事が読まれていることについての問題を考えるとして、この章を結ぶ。

 

私見

村崎百郎について、鴇田義晴氏の著作についての引用が本書ではなされているが、この引用についての鴇田氏による反応はこちら

本書の問題点をコンパクトに指摘しており、正直このブログでぐちぐち書いたものよりよっぽど素晴らしい。

*1:村上清による当時の企画意図を語ったページはこちら(1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして - 太田出版)。加害の「楽しさ」「面白さ」に着目した理由は「記事中に「いじめってエンターテイメント!?」という私の記述があります。これも皮肉・反語ですが、そうでない形で書き直すならば、「いじめにあたる行為や場面を娯楽、ショーとして消費してしまう性質が、人間には(善悪の判断以前に)どうしようもなく潜んでいる」という文言になります。その認識を出発点にすることでしか、いじめという「現実とは思えない現実」の輪郭にたどり着けないと、当時考えていました。」としている。

*2:「加害のエピソードを実際には持ち合わせていなかった」根拠は、片岡による事実関係の証明に基づくものではなく、後の小山田によるいじめ発言についての弁明が、片岡にとって事実と信じて良いものと思われることを根拠としていることに注意。

*3:片岡は小山田による傍観者性の強調は「週刊文春」2021年9月のインタビューでも繰り返し行われているとしている

*4:なお、「QJ」における「いじめ紀行」ではロッキング・オン・ジャパンでのインタビュー記事の見出しが不正確ではあるが引用されている(本書p.112)。加えて、「傍観的に立ち会ったもの以外の加害」は示されているため、片岡の「「ROJ」の記憶から自由に」という前提を満たすことはかなり難しいのではないかと考える。また、いじめ行為が「極度に凄惨な」ものでなければ悪い印象を持たない、とは限らないのではないだろうか

*5:蛇足ではあるが本章の構造的な問題として、「いじめ紀行」における原文を紹介する前に、「週刊文春」2021年9月のインタビューやこの「お詫びと経緯説明」のように2021年当時の小山田圭吾自身の説明が必ず挟まるようになっており、「いじめ紀行」におけるいじめの事実は存在しない・あるいは誇張されたものであるという結論ありきで「いじめ紀行」を紹介しようとする意図を感じてしまう。

*6:母親が村上に語ったところによると「沢田」は高校卒業後「家族とも『うん』『そう』程度の会話しかしない状態にあったという(本書p.123)

*7:これは片岡の解釈であり、「沢田」の母親が実際に「「沢田」の状態が変わったのは小山田のような級友との交流がなくなったため」と明言していたわけではないことに注意。私自身としてはこの解釈はやや乱暴なものに感じる。

*8:端的に言うと、拾得した女性の下着に対して想像し、その想像を元に性的興奮を感じたというもの

*9:ロマン優光「90年代サブカルの呪い」の原著を確認したところ、ロマン優光村崎百郎のゴミ漁り行為そのものについてではなく、村崎の鬼畜表現に対し「素晴らしい文章によってショーアップされたエンタメ」と述べている(「90年代サブカルの呪い」 p.177)。さらにリアルタイムで村崎の文章を読んでいた読者は、村崎の「精神的なものを見出すような」、「伝えたい本筋」みたいなものには興味はなく、

どんな指摘で素晴らしい文章を書いていたとしても、ゴミ漁り評論家としての村崎氏は、同時代に活躍していた痴漢評論家の山本さむ氏とかと同じ箱の中に入ってしまうわけですよね。

(「90年代サブカルの呪い」 p.178)

としており、村崎の表現に限界があったことについても述べている。

*10:なお、片岡はロマン優光の文章より、ロマン優光は「QJ」でのインタビュー原文ではなく、ネット上で拡散され歪曲された小山田のいじめ発言・記事を読んだために「凄惨極まりないいじめ(障がい者に対するものも含む)について面白おかしく語った」という評価を下したのだとロマン優光本人に確認することなく解釈していることに注意(本書p.258、脚注*6)。なお、ロマン優光本人は『「ROJ」「QJ」両方ともリアルタイムで読んだ』との記述がある(「90年代サブカルの呪い」、p.128)。

また、私感を述べさせてもらうなら本書pp.139~146は90年代サブカルの呪い」への揚げ足取りに終始してしまっている印象があり、片岡本人による「鬼畜系」再解釈や、村崎百郎による行為の「生々しさ」の程度の考察など、脇道にそれたテーマに章を割いているように感じてしまう。さらに片岡の小山田のいじめ発言が「鬼畜系」に含まれない結論としては、"「鬼畜系」に包含されるような代表的なエピソードよりも凄惨さに欠け、常軌を逸しているとは思えない"という片岡自身の印象に留まってしまっている。「QJ」の文章そのものを読み、「凄惨である」「常軌を逸している」と感じる客観的な理由に大きく欠けており、根拠として非常に弱いものと思われる。なお、ロマン優光本人による小山田圭吾についての記事はこちら

*11:「90年代サブカルの呪い」における、

(...)ギリギリのところでモラルを守るというか、モラルを理解した上で(当時としては)ギリギリのところで遊ぶのが悪趣味/鬼畜系だったし、何度も書いていますが、実際に鬼畜行為に及ぶことを推奨していたわけではないのです。それを鬼畜行為の当事者として、著名なミュージシャンが反省もなく面白おかしく語るというのは、頭おかしすぎなんですよ。

(「90年代サブカルの呪い」、p.131)

を指していると思われる。

*12:私感ではあるが、こうした記述はあたかもロマン優光が小山田の「いじめ発言」が「鬼畜系」の背景を持っているという推察・評論を行ったこと自体が誤りであるかのように感じられる。そうした評論に対し、「その考え方・論理は誤りである」と指摘することが本書の役割であるかのように思えるのだが、その根拠が片岡自身の印象に留まってしまっているためにいかんせん説得力に欠けているように思われる。

なお、片岡は

いずれにせよ、『90年代サブカルの呪い』は、「コンビニで買うのに最も勇気がいる雑誌」(しらベぇ、2020年6月24日)と評される月刊紙「実話BUNKAタブー」版元「90年代サブカルの呪い」の一冊であって、読者層は比較的限定されたものだったように思われる。

(pp.145-146)

としているが、これはロマン優光の影響力及びコア新書への貶めとも感じられてしまう(「実話BUNKAタブー」とコア新書が別にコンビニに並んで置いてあるわけでもないし、「実話BUNKAタブー」の版元故にコア新書は買わないといった人がどれくらいいるのだろうか?なお、「90年代サブカルの呪い」は書き下ろしである)。

*13:片岡は「交流が幸福ならざるもの」だった根拠として、吉田豪との有料オンライントークに参加したツイッタラー(当時)によるツイート(当時)の文字起こしを引用する。これについては、このツイートがロマン優光を批判する文脈で使われていたとの指摘がされている。

内省のための小山田圭吾の問題考証 ③(片岡大右氏の著作:第2章について)

②はこちら

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引き続き、『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』についてのまとめとそれに対する所感を述べていく。

 

第2章:「ロッキング・オン・ジャパン」はなぜいじめ発言を必要としたのか

  本章では、小山田圭吾の悪評を伝播するのに中心的な役割を果たした「ロッキン・オン・ジャパン」(以下著者に従い「ROJ」と略す)1994年1月号における小山田圭吾の「20000字インタビュー*1」、およびその直後に行われたトークイベントなどにおける小山田本人による「20000字インタビュー」についての言及に対する検証が行われている。

 

 片岡は、小山田が「ROJ」1994年2月号(「20000字インタビュー」が掲載された翌月号)における、山崎洋一郎とのインタビューにて以下のように語っていたことを引用する。

「僕こないだのインタヴュー(管理人注:引用ママ)に、少し後悔してるところがあります(笑)」(管理人注:小山田圭吾の発言)

●何だよ突然。(管理人注:山崎洋一郎の発言)

「はははは。あの日はほんとどうかしてたんですよ(笑)。いや、僕もっと面白おかしいエピソードできればいいなあと思ってたんだけどさ。だから別にこの『ウンコ喰わしてバックドロップ』とかそういうのはいいんですよ。でも、なんか全体的に漂う・・・・・・

●ヤクザな?

「ヤクザっていうほどじゃないところがまたみみっちいしさ(笑)」

●はははは。じゃあやり直すか。

みみっちいわ、セコいわ、卑怯だわ、でさ。で、ロッキング・オンJAPANの主流はいま硬派ロックじゃない?そういうところからはまずダメでしょう。それで僕が唯一獲得しているオリーブ少女的な夢見る少女はもうウンコとバックドロップでダメでしょ(笑)

 

(p.58)

 片岡は上記のほか、「SPYS」第2号(1994, SPRING)、「音楽と人」(1994年3月号)上での発言も引用した上で、小山田は「ウンコ喰わしてバックドロップ」のようないじめ自慢とも受け取られる発言は本意ではなく、そうした編集や記事作りを望んでいなかったことは「明らか」であるとする*2

 

 対して、「ROJ」側はアーティスト側に原稿チェックをさせない方針をとっていたこと、「ROJ」の取材姿勢が他誌にはない独特の強引さを伴っていた*3ことに加え、
「ROJ」がリニューアルを図るために、当時の編集長たる山崎洋一郎が新たなロックを紹介する媒体として新たに位置付けされるために小山田の「20000字インタビュー」を取り上げたのでは、とする。

 片岡は、当時の「ROJ」のTHE YELLOW MONKEY担当の編集部員であった井上貴子山崎洋一郎との対談記事にて「(掲載号の表紙が小山田圭吾だったことを受けて)今月の表紙はどう見たって「彼氏にあげる手編みセーター」である」と旨の発言していたこと、翌月の「ROJ」にて兵庫慎二編集部員もまた「小山田とかって、殴ったら泣きそうじゃないか」という発言をしていたことを受け、「ROJ」上での小山田を取り扱った特集は編集部全体の総意ではなかった可能性を指摘する。

 その上で当時の山崎は、既存のロックミュージックの再編が求められているという問題意識を抱えており、これまでのロックとは一線を画した小山田を評価するために、いじめ発言を必要としたのではないか、と片岡は推測している。

そこで山崎は、まず小山田を日本のロック・シーンに対する「イヤミ」が具現化したような存在として捉える。そして、小山田が学校生活の一幕を振り返る中で口にしたいじめ発言を参照し、自分では手を下さないというその「ヒ弱」さを20代のミュージシャンとなった現在の彼の態度にそのまま当てはめる。

(p.71)

さらに、小山田に対して以下のような人格プロデュースを山崎は行なったのではないかと推測する。

山崎洋一郎は、いじめっ子ぶっていても所詮は「ヒ弱」な、しかし圧倒的な才能を持ったもったやさぐれものというアーティスト・イメージを小山田圭吾のために用意した。

(p.74)

これより、山崎洋一郎は既存のロックミュージックシーンの再編を担う存在の一エピソードとして紹介するだけでなく、小山田自身の「オシャレ系」というイメージを覆し、保守的なロック愛好家に対しても重要なアーティストであることを認知させるために小山田の語った「20000字インタビュー」でのいじめ発言を使ったのではないか、としている。

 

しかしながら、上述したとおり小山田自身はいじめ発言が含まれた「20000字インタビュー」が掲載された直後から、繰り返し内容への違和感を公にしていた。

片岡は、その理由として「20000字インタビュー」本文自体に顕著な歪曲や曖昧さが含まれていたことを挙げている。週刊文春:2021年9月23日付での中原一歩による小山田のインタビューを参照した上で、

要するに、やはり「ROJ」の記事(とりわけ見出し)ではふたつのまったく異なったエピソードが混合されていたわけだ。そして排泄物のエピソードには何ら加害性は感じられない。

(p.79)

片岡は、中原一歩による小山田のインタビューは

(いじめ発言を発端とした炎上事態を)取り繕うための偽りではなく、実際にそうだと信じて良いように思われる

(p.79)

とし、その理由として

①「20000字インタビュー」直後における、記事が読者に与える印象を心配し、困惑を表明していた反応と、中原一歩による小山田のインタビュー時の弁明の態度を比べた際に、整合性が取れているため

②「ROJ」の「20000字インタビュー」と「いじめ紀行」を掲載したクイックジャパン第3号の記事内容と読み比べると、前者の内容がかなり信用できないことが実感できるため(クイックジャパン第3号の「いじめ紀行」では排泄物のエピソードは出てこず、自慰強制については他者の行為であることがはっきり語られているため)

 

また、片岡は小山田がなぜ「ROJ」(もしくは山崎洋一郎)による人格プロデュースを受け入れてしまったのかについて、小山田が「ナメられる」ことの拒絶という形でイメージ再構築の意思を表明していたことに着目する。

(...)そして彼は、所属レコード会社ポリスターの駐車場で他社の社長に胸ぐらを掴まれたり、地方の雑誌社での取材時にトイレでその社の重役に殴りかかられたりといったエピソードを披露する。(...)

(p.83)

片岡は、小山田がイメージ再構築のための「ぎこちなくもあれば誠実な物でもある」模索の中で、「きわどいことや、露悪的なことを口にすることがあった」とする。

そして、「20000字インタビュー」が、「ROJ」編集部による歪曲・誇張を受けてしまうとともに、こうした歪曲・誇張が当時の小山田のイメージ再構築に逸脱していた故に「僕こないだのインタヴューに、少し後悔してるところがあります(笑)」といったような不満をこぼしていたのではないかとしている。

 

私見メモ

一年ぶりに再開です。

小山田がいじめ発言を山崎洋一郎により教唆させられていたとも取れるような解釈ですが、そもそもはきわどいことや、露悪的なことを口にすることがあった小山田自身に問題があったのではないでしょうか。

山崎がイメージ一新のために小山田を利用したかどうかについては、あくまで片岡氏による推測でしかないというのが残念なところであります(てゆうかこの本はほぼそういう作りなんですけどね)

 

*1:「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」などコピペとして広く蔓延したインタビュー。こちらの本文は自分でお調べください

*2:片岡は、レコード店主催者:仲真史の文を引用し、こうしたいじめ発言が掲載されたことは、小山田のマネジメント担当も困惑していたのではないかとしている(YMOは仮想敵|仲真史 NAKA BIG LOVE RECORDS TOKYO|note、但し理由とした箇所は記事購入が必要)

*3:片岡は、小山田本人が「音楽と人」(1995年12月号)でのインタビューにて、おそらく「ROJ」と推察される誌の取材姿勢が「(自分が取材に対し)無抵抗主義」であり、「質問が『そうだろそうだろ』って強要の雑誌だった」と発言していたことに着目している

ひさびさ

なーんか気づいたら最後の記事から半年たっちゃいました

小山田圭吾もいつのまにかシーンに戻ってますし、また世間的には無関心そのものになったのかもしれないですね

シリーズはそのうち復活予定です、

最近仕事が忙しく、仕事で体力削っちゃってブログ書けないという状態がずっと続いてます

頭痛薬飲んでまで書くモチベーションが今は無いというのもありますが、完結はさせたいです

 

結局のところ、最後は各個人が小山田圭吾の印象が嫌いか好きかで変わってしまう、という結論になってしまうのかもしれませんが、それじゃあ余りにも凡庸なので、もっと考えを巡らせたいですね

 

トリプルファイヤー - スキルアップ @ 森、道、市場 2023 - YouTube

そーいえばトリプルファイヤーのライブ行ってきました

ジョイ・ディヴィジョンとか54-71とかと比べられてた時とは様変わりし、ジェームズ・ブラウンから坂本慎太郎、果てはエレクトリックマイルスまで感じてしまうほどの熱さでした

それで歌詞が「相席屋に行きたい」「お酒を飲んだら楽しいね」なんですからカオス極まれりですね

 

 

 

内省のための小山田圭吾の問題考証 ②(片岡大右氏の著作:第1章について)

①はこちら

 

www.amazon.co.jp

2023/2/17に片岡大右氏(以下敬称略)により上記の著作が出版された。

本章では、この著作における第1章の簡単なまとめとそれに対する所感を述べたい。

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