らなる堂

音楽

Deerhunter / Helicopter に寄せたDenis Cooperによる文書

iPhoneのメモを大昔まで遡ったらそんなものが発掘されたので、改めて翻訳しなおしてみました。"Helicopter"が収録されているHalcyon Digestについては日本盤が出ており、そっちの方がよっぽど正確な訳が出てると思うんで、こちらについてはあくまで参考程度ということでよろしくお願いします。間違いなどあったら教えてください。

 

 

Dima(本名:Dimitry Marakov)は1986年にロシアのNalchikという街で生まれた。幼い頃から彼はデザイナーとしてファッションの会社で働くことを夢見ていた。親からの精神的または経済的な援助が不足している中で、彼はインターネット産業におけるチャンスを積極的に求めた。14歳の時に彼は、当時成功していたファッション写真家であるSt. Petersburgを紹介された。彼は少年(Dima)と生活を共にし、アシスタントとして働かせた。Dimaはその依頼を受け入れ、写真家(St. Petersburg)のもとへ転居した。Dimaの友人によれば、彼はほぼ次の年には年上の男(St.Petersburg)の恋人となっていた。

やがて彼は約束した報酬が支払われていないことに対し不満を募らせた。彼は写真家のもとを去り、ゲイポルノのウェブサイトを運営する巨大企業からの経済的な後ろ盾を受けていた裕福な男のもとに住み込み、恋人となった。

この時から、DimitryDimaという芸名を持ち、年齢を18歳と書類上で偽り、ヌードモデルや彼の恋人が運営するゲイサイトでのハードコアセックス動画の男優として雇われ、成功しはじめたのである。

 

15歳から18歳の間、Dimaはポルノモデルや男優としてとても人気があった。彼は18歳になってから入学したいと願っていたファッションの専門大学の授業料のためにモデル業で得た金を貯めていた。ある時、Dimaは恋人の友人や知人のうちでエスコートとして売春を行い、得た金を給料の足しにし始めた。

Dimaの友人によると、そのなかには複数のエンターテイメント会社の主要人物やロシアの犯罪組織で最も有力な男の一人までも含まれていた。Dimaは犯罪組織の主要人物に執着されていたことを友人に打ち明け始めていたが、友人から犯罪組織の男に会うのを止めるべきだという助言を、多額の報酬を稼いでいたことを理由に拒んだ。2005年のある時、Dimaは突然恋人のもとを去り、モデル業としてのキャリアを諦め、友人との関わりをすべて断ち切り、犯罪組織のもとへ移り住んだ。

Dimaが最後に人前に現れたのはその年の末、彼の友人であり、当時エスコートとして働いていたIgnat Lebedevが、客と同行していた秘密の娼館で、とても痩せ、狼狽えた様子のDimaが恐らく10-15人の男達に力ずくで強姦されていた姿が目撃されていた。Lebedevの客は男の一人が犯罪組織の主要人物であることを確認し、Lebedevの安全の為にDimaに話しかけるのを思いとどまらせたということを話した。

 

LebedevDimaの嘗ての恋人に会い、Dimaが前の週に殺されたこと、この事は誰にも話すべきではないと言われたという。Lebedevはどちらの事件(Dimaのレイプ被害と殺害の疑い?)も警察に連絡したが、嘗ての恋人への取り調べの後、Lebedevは自分が事件をでっち上げていると言われ、警察は事件の操作を打ち切った。

2006年にLebedevがロシアの著名なゲイジャーナリストにDimaの失踪についての記事を書くように依頼したが、事件を調査していた最中に謎の襲撃者に拉致され、殺されたという。Lebedevはもし自分自身が事件について書いていたら自分が殺されていただろうと話した。Dimaに関しては3年の間なんの音沙汰も無かったが、2007年の初めに、別の犯罪組織の主要人物であり、無関係な殺人事件についての公判が控えていたEvgenyが、2005年の暮れにDimaに似た若い男娼がロシア北方の人里離れた森でヘリコプターの上から突き落とされるのを目撃したことを証言した。Dimaの嘗ての恋人が2007年に肺癌で死ぬ直前に友人に対して打ち明けた話によれば、噂によるとDima2005年後期にウクライナの男に性奴として売られたこと、彼が命を絶ったとされる2006年後期まで生きていたという。

 

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