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2023/2/17に片岡大右氏(以下敬称略)により上記の著作が出版された。
本章では、この著作における第1章の簡単なまとめとそれに対する所感を述べたい。
第1章:小山田圭吾は21世紀のカラヴァッジョなのか
最初の章では、片岡が本書を書くに至った経緯とオブセッション、小山田圭吾の音楽的な遍歴を紹介し、五輪開会式を辞任するまでに至った「炎上」の一連の動き、そして今では小山田圭吾の悪評を伝播するのに中心的な役割を果たした「ロッキン・オン・ジャパン」と「クイックジャパン」におけるインタビューの以前に行われた、「月刊カドカワ」における小山田へのインタビュー記事である*1。
小山田は「月刊カドカワ」誌上にて、小・中・高の時期における回想のなかで、小学校2年生から関わりのある、障害のある生徒について語っていたことがわかる。
二年の時にKという知恵遅れの子が転校してくるんです。僕らの学校は身体障害者の人が多いんだけど、...[後略]
(p.45)
小山田は学校生活におけるKとのエピソード(Kの下敷きの中に石川さゆりの写真が入っていたこと、Kが鼻炎だから小山田が購買部で箱のティッシュを買ってきて紐をつけて渡したこと等)を語る。片岡はこうしたエピソードについて、小山田についての障害者との関わり方についての印象を以下のように述べる。
[...]重要なのは、小山田はこの知的障害者のある生徒を、健常者と社会生活を共有することの困難な「弱者」というよりも、健常者とは別のチャンネルを通して世界と触れ合い、常識的な眼差しに映るものの一面性を思い知らせてくれる存在とみなし、ある意味では分け隔てなく、ある意味では微かな畏怖をもって付き合っていたのだろうということだ。...
『弱者」への思いやりといった表面的な次元とは一線を画したところで障害者と関わりながら少年期を過ごしたように見える...[後略]
(p.50)
「月刊カドカワ」におけるKとの関わりについては「ロッキン・オン・ジャパン」と「クイックジャパン」のインタビューでも語られるため、深い所感についてはこの後の章において述べることとし、この章では小山田による「知恵遅れ」というKへの形容について考えたい。
この「知恵遅れ」という言葉について、片岡は
なお─当時の小山田によるこの言葉の使用を差別意識の表れとして糾弾する向きがあるので付言しておくと─、当時の「知恵遅れ」という言葉は当時、当事者家族や教育現場でもふつうに用いられていた。
(p.44)
としている。現在に比べれば普遍的に使われている言葉として使われていたことや、その当時に小山田氏が侮蔑の意思はなく「知恵遅れ」という言葉を使ったかどうかは確認のしようがないこと、そして一語一句を切り出して言葉狩りをするような事をしても検証として有用なのか疑問であることは当然だが、90年代においても「「精神薄弱」や「知恵遅れ」という言い方は、心がズキンとする」という障害者間での議論が為されていたようである。*2
私見メモ
私としては、「知恵遅れ」という言葉を使うことが差別用語として避けられていない、社会においてまだ差別用語として認知されてはいなくても、それを言われた人間はどう思うかどうかの想像力が重要であると考える。自分の述べた言葉がどのように解釈されうるかといったことは(述べた直後でなくとも)考えられてしかるべきなのではないだろうか。*3
「月刊カドカワ」におけるインタビューからは、相手を表す・形容する単語に対して「相手はこれを聞いてどう思うか?」というようなことを考えることなく「知恵遅れ」という<普遍的>な言葉を選択してしまう軽率さを感じ取ってしまう。それゆえに、小山田が「健常者とは別のチャンネルを通して世界と触れ合い、常識的な眼差しに映るものの一面性を思い知らせてくれる存在」としてみなしているようには読み取りづらく、ただ単に当時の知的障害者に対する見方と大して変わらないような見方・関わり方をしていたのではないかと思えてならない。
思ったよりずっと長くなってしまったので記事分けます...
*1:もちろん「月刊カドカワ」における小山田の言葉も「炎上」騒動以前からネット上で引用され槍玉に挙げられていたのは確かである
*2:柴田保之、「知的障害」という言葉の成立のかげに─ある知的障害者のリーダーの死─、https://www2.kokugakuin.ac.jp/~yshibata/kousaka.htm、2023/3/27閲覧。なお、引用記事の主対象である町田市障害者青年学級の高坂茂氏が、1990年の第10回ILSMHパリ世界会議にて明確に「知恵遅れ」という単語を用いて議論したかどうかはわからない描写になっており、筆者である柴田保之氏による想像の可能性も考えられるが、90年代における「知恵遅れ」という言葉の立ち位置を示す一つの手がかりとして引用した
*3:インタビュー記事における編集部の介在・編集があった可能性はあるが、「ロッキン・オン・ジャパン」のインタビュー記事においては議論が生じていたものの(下記リンク参照)、「月刊カドカワ」においては特に議論がなされていないため不明である