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内省のための小山田圭吾の問題考証④(片岡大右氏の著作:第3章について)

③はこちら

 

引き続き、『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』についてのまとめとそれに対する所感を述べていく。

本章では、ロッキング・オン・ジャパン(以下「ROJ」と略称)での20000字インタビューの翌年に行われたクイック・ジャパン(以下「QJ」と略称)における「いじめ紀行」と題されたインタビューについての考察、2つのインタビューと「鬼畜系」の関係についての考察が主なポイントである。

 

1.「いじめ紀行」について

 片岡はまず「いじめ紀行」が、インタビューが行われた当時の岡崎京子柳美里によるいじめに関する語られ方と異なり、いじめっ子側の心情に注目されていたことを取り上げる。

 当時のライターであった村上清の加害の「楽しさ」「面白さ」に着目した特異性を認めつつ、小山田を特集した「いじめ紀行」は「実に厄介で両義的」「企画の枠組みは大いに問題含み」であったとし、同時に「いじめ紀行」が村上の構成意図に反し、全体としていじめをめぐる記事になっていなかったことを説明する*1

 「いじめ紀行」は記事の語り口も愉快なものではなく、同時に小山田の言葉にも問題を抱えているとする一方で、

けれどもその一方、小山田がそこで語る学校生活のエピソードの多くは、人間的交流記録として非常に興味深く、時に味わい深いものとして読むこともできる。

(p.106)

と評している。

 「両義的」であり、いじめの加害性を主題とした記事とはならなかった理由として、「20000字インタビュー」の小山田によるいじめ発言を真に受けていじめ加害者として注目した村上の企画意図と、「20000字インタビュー」における加害のエピソードを実際には持ち合わせていなかった*2小山田の発言内容に、大きなズレがあることを挙げている。

 

 片岡は次に、 「いじめ紀行」にて小山田は、いじめ行為においての傍観者性の強調を図ったと同時に、「ROJ」での20000字インタビューでの自身の発言及び歪曲されたイメージの修正を図ったのではないかと推測している*3

 また、「いじめ紀行」における、「人間的交流記録として非常に興味深く、時に味わい深いものとして読むこともできる」面について次のように書いている。

(...)「QJ」の記事だけをー「ROJ」の記憶から自由にー素直に読むなら、傍観的に立ち会ったもの以外の加害は極度に凄惨なものではないし、さまざまな同級生との興味深い交流が語られているので、同時代的に読んで必ずしも悪い印象を抱かなかった場合、嫌悪と共感の半ばする印象を抱いた読者も確実に存在するからだ。

(p.115)*4

 

 次の節では、「いじめ紀行」における、小山田がフリッパーズ・ギター時代の1991年に月刊カドカワの記事でも取り上げていた「K」(「いじめ紀行」では「沢田」として扱われている)についてのエピソードを取り上げている。
 片岡は「いじめ紀行」内での「K」のエピソードについて、小山田自身の「お詫びと経緯説明」での説明と照らし合わせた上で*5、「K」は「陰惨な暴力行為」を長期(小学生〜高校生にわたり「沢田」と小山田は接点があった)にわたり受けていたという事実はないこと、当時の小山田が「いじめ紀行」で語った行為は「K」に対して「遠慮のない好奇心」故の行き過ぎた振る舞いであったことを示そうとする。
 また、当初「いじめ紀行」では「いじめっ子」「いじめられっ子」の対談企画が構想されていたが、「沢田」含む「いじめられっ子」側からは全員対談を断られた上で、小山田は「沢田」と再会したいという気持ちがあったこと、「いじめ紀行」のライター村上が当時「沢田」の母親を訪ねた際、

「卒業してから、ひどくなったんですよ*6。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは仲良くやってたと思ってましたけど。」
(p.123)

と語っていたことから、卒業してから「沢田」の状態が変わったのは小山田のような級友との交流がなくなったためだということが証言されていること*7、小山田が「沢田」の現状を知り、彼との交流を振り返った際の言葉から、

(...)高校の頃にはもう少し落ち着いた、一定の敬意を含んだ関心をもって、「沢田」の内的世界を知りたいと望んでいたように思われる。

(p.125)

として、それ故に、村上による構想企画とは別に小山田は「沢田」との再会を望んでいたとする。

 結論として片岡は、こうした「いじめっ子」「いじめられっ子」という関係性とは異なった「K」との交流が「いじめ紀行」という枠組みで話されたからこそ、小山田=いじめの加害者というイメージの定着・増長に繋がったのではないかとしている。

 

2. 「鬼畜系」からの脱コンテクスト化

 片岡は次に、小山田のいじめ発言のコンテクストにあるとされる、今日日「悪趣味系」「鬼畜系」として振り替えられるサブカルチャーとの関係について取り上げる。
 当時の小山田は確かにサブカルチャーへの関心を示していたのは事実であるが、その関心先は「モンド・カルチャー」と呼ばれる潮流であり、過去にも小山田は「モンド・カルチャー」を扱ったテレビ番組や雑誌の取材を行なっていたことを示す。
 その上で、小山田の「ROJ」「QJ」でのいじめを巡る発言について、2021年夏の炎上時にサブカルチャーの関心層の一部から、その発言の背景に「悪趣味系」「鬼畜系」の文脈に寄せて論じる傾向があったことに対し、こうした傾向を「相対化」しようと試みる。

片岡は、鴇田義晴「90年代サブカルチャーと倫理ー村崎百郎論」(「すばる」2022年2月号掲載)、ロマン優光「90年代サブカルの呪い」(コア新書、2019年)を参照しながら、各著者の「鬼畜系」についての評論、及び村崎百郎青山正明根本敬佐川一政の発言などを引用した上で、こうした「鬼畜系」の文脈に引き付けて小山田圭吾のいじめに関する発言を説明することは不適切であるとする。

一例として、ロマン優光が、村崎百郎のゴミ漁りに関するエピソード*8などに対しては「素晴らしい文章によってショーアップされたエンタメ*9」と称賛したにも関わらず、小山田によるいじめ発言に対しては「凄惨極まりないいじめ(障がい者に対するものも含む)について面白おかしく語った」「頭おかしすぎ」と評していることに対し、そのような感受性がどれほど一般的なのか、「私は確信を持てずにいる(本書:p.144)」とする*10

 さらに片岡は、2021年での小山田の炎上を機に、「90年代サブカルの呪い」の小山田に関する箇所が文春オンラインに転載され、それを読んだ良識的な人々も小山田の言動が単に「鬼畜系」の影響下にあっただけでなく、「鬼畜系」の作法を逸脱した危険なものである*11という判断を促したのではないかと推定している*12

片岡は、ロマン優光によるこうした小山田への言及は、小山田との交流が幸福ならざるものだったことに起因し、それ故の偏見なのではないかと推察する*13

 次の章では、いじめを巡る物語として小山田のインタビュー記事が読まれていることについての問題を考えるとして、この章を結ぶ。

 

私見

村崎百郎について、鴇田義晴氏の著作についての引用が本書ではなされているが、この引用についての鴇田氏による反応はこちら

本書の問題点をコンパクトに指摘しており、正直このブログでぐちぐち書いたものよりよっぽど素晴らしい。

*1:村上清による当時の企画意図を語ったページはこちら(1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして - 太田出版)。加害の「楽しさ」「面白さ」に着目した理由は「記事中に「いじめってエンターテイメント!?」という私の記述があります。これも皮肉・反語ですが、そうでない形で書き直すならば、「いじめにあたる行為や場面を娯楽、ショーとして消費してしまう性質が、人間には(善悪の判断以前に)どうしようもなく潜んでいる」という文言になります。その認識を出発点にすることでしか、いじめという「現実とは思えない現実」の輪郭にたどり着けないと、当時考えていました。」としている。

*2:「加害のエピソードを実際には持ち合わせていなかった」根拠は、片岡による事実関係の証明に基づくものではなく、後の小山田によるいじめ発言についての弁明が、片岡にとって事実と信じて良いものと思われることを根拠としていることに注意。

*3:片岡は小山田による傍観者性の強調は「週刊文春」2021年9月のインタビューでも繰り返し行われているとしている

*4:なお、「QJ」における「いじめ紀行」ではロッキング・オン・ジャパンでのインタビュー記事の見出しが不正確ではあるが引用されている(本書p.112)。加えて、「傍観的に立ち会ったもの以外の加害」は示されているため、片岡の「「ROJ」の記憶から自由に」という前提を満たすことはかなり難しいのではないかと考える。また、いじめ行為が「極度に凄惨な」ものでなければ悪い印象を持たない、とは限らないのではないだろうか

*5:蛇足ではあるが本章の構造的な問題として、「いじめ紀行」における原文を紹介する前に、「週刊文春」2021年9月のインタビューやこの「お詫びと経緯説明」のように2021年当時の小山田圭吾自身の説明が必ず挟まるようになっており、「いじめ紀行」におけるいじめの事実は存在しない・あるいは誇張されたものであるという結論ありきで「いじめ紀行」を紹介しようとする意図を感じてしまう。

*6:母親が村上に語ったところによると「沢田」は高校卒業後「家族とも『うん』『そう』程度の会話しかしない状態にあったという(本書p.123)

*7:これは片岡の解釈であり、「沢田」の母親が実際に「「沢田」の状態が変わったのは小山田のような級友との交流がなくなったため」と明言していたわけではないことに注意。私自身としてはこの解釈はやや乱暴なものに感じる。

*8:端的に言うと、拾得した女性の下着に対して想像し、その想像を元に性的興奮を感じたというもの

*9:ロマン優光「90年代サブカルの呪い」の原著を確認したところ、ロマン優光村崎百郎のゴミ漁り行為そのものについてではなく、村崎の鬼畜表現に対し「素晴らしい文章によってショーアップされたエンタメ」と述べている(「90年代サブカルの呪い」 p.177)。さらにリアルタイムで村崎の文章を読んでいた読者は、村崎の「精神的なものを見出すような」、「伝えたい本筋」みたいなものには興味はなく、

どんな指摘で素晴らしい文章を書いていたとしても、ゴミ漁り評論家としての村崎氏は、同時代に活躍していた痴漢評論家の山本さむ氏とかと同じ箱の中に入ってしまうわけですよね。

(「90年代サブカルの呪い」 p.178)

としており、村崎の表現に限界があったことについても述べている。

*10:なお、片岡はロマン優光の文章より、ロマン優光は「QJ」でのインタビュー原文ではなく、ネット上で拡散され歪曲された小山田のいじめ発言・記事を読んだために「凄惨極まりないいじめ(障がい者に対するものも含む)について面白おかしく語った」という評価を下したのだとロマン優光本人に確認することなく解釈していることに注意(本書p.258、脚注*6)。なお、ロマン優光本人は『「ROJ」「QJ」両方ともリアルタイムで読んだ』との記述がある(「90年代サブカルの呪い」、p.128)。

また、私感を述べさせてもらうなら本書pp.139~146は90年代サブカルの呪い」への揚げ足取りに終始してしまっている印象があり、片岡本人による「鬼畜系」再解釈や、村崎百郎による行為の「生々しさ」の程度の考察など、脇道にそれたテーマに章を割いているように感じてしまう。さらに片岡の小山田のいじめ発言が「鬼畜系」に含まれない結論としては、"「鬼畜系」に包含されるような代表的なエピソードよりも凄惨さに欠け、常軌を逸しているとは思えない"という片岡自身の印象に留まってしまっている。「QJ」の文章そのものを読み、「凄惨である」「常軌を逸している」と感じる客観的な理由に大きく欠けており、根拠として非常に弱いものと思われる。なお、ロマン優光本人による小山田圭吾についての記事はこちら

*11:「90年代サブカルの呪い」における、

(...)ギリギリのところでモラルを守るというか、モラルを理解した上で(当時としては)ギリギリのところで遊ぶのが悪趣味/鬼畜系だったし、何度も書いていますが、実際に鬼畜行為に及ぶことを推奨していたわけではないのです。それを鬼畜行為の当事者として、著名なミュージシャンが反省もなく面白おかしく語るというのは、頭おかしすぎなんですよ。

(「90年代サブカルの呪い」、p.131)

を指していると思われる。

*12:私感ではあるが、こうした記述はあたかもロマン優光が小山田の「いじめ発言」が「鬼畜系」の背景を持っているという推察・評論を行ったこと自体が誤りであるかのように感じられる。そうした評論に対し、「その考え方・論理は誤りである」と指摘することが本書の役割であるかのように思えるのだが、その根拠が片岡自身の印象に留まってしまっているためにいかんせん説得力に欠けているように思われる。

なお、片岡は

いずれにせよ、『90年代サブカルの呪い』は、「コンビニで買うのに最も勇気がいる雑誌」(しらベぇ、2020年6月24日)と評される月刊紙「実話BUNKAタブー」版元「90年代サブカルの呪い」の一冊であって、読者層は比較的限定されたものだったように思われる。

(pp.145-146)

としているが、これはロマン優光の影響力及びコア新書への貶めとも感じられてしまう(「実話BUNKAタブー」とコア新書が別にコンビニに並んで置いてあるわけでもないし、「実話BUNKAタブー」の版元故にコア新書は買わないといった人がどれくらいいるのだろうか?なお、「90年代サブカルの呪い」は書き下ろしである)。

*13:片岡は「交流が幸福ならざるもの」だった根拠として、吉田豪との有料オンライントークに参加したツイッタラー(当時)によるツイート(当時)の文字起こしを引用する。これについては、このツイートがロマン優光を批判する文脈で使われていたとの指摘がされている。