②はこちら
引き続き、『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』についてのまとめとそれに対する所感を述べていく。
第2章:「ロッキング・オン・ジャパン」はなぜいじめ発言を必要としたのか
本章では、小山田圭吾の悪評を伝播するのに中心的な役割を果たした「ロッキン・オン・ジャパン」(以下著者に従い「ROJ」と略す)1994年1月号における小山田圭吾の「20000字インタビュー*1」、およびその直後に行われたトークイベントなどにおける小山田本人による「20000字インタビュー」についての言及に対する検証が行われている。
片岡は、小山田が「ROJ」1994年2月号(「20000字インタビュー」が掲載された翌月号)における、山崎洋一郎とのインタビューにて以下のように語っていたことを引用する。
「僕こないだのインタヴュー(管理人注:引用ママ)に、少し後悔してるところがあります(笑)」(管理人注:小山田圭吾の発言)
●何だよ突然。(管理人注:山崎洋一郎の発言)
「はははは。あの日はほんとどうかしてたんですよ(笑)。いや、僕もっと面白おかしいエピソードできればいいなあと思ってたんだけどさ。だから別にこの『ウンコ喰わしてバックドロップ』とかそういうのはいいんですよ。でも、なんか全体的に漂う・・・・・・
●ヤクザな?
「ヤクザっていうほどじゃないところがまたみみっちいしさ(笑)」
●はははは。じゃあやり直すか。
「みみっちいわ、セコいわ、卑怯だわ、でさ。で、ロッキング・オンJAPANの主流はいま硬派ロックじゃない?そういうところからはまずダメでしょう。それで僕が唯一獲得しているオリーブ少女的な夢見る少女はもうウンコとバックドロップでダメでしょ(笑)」
(p.58)
片岡は上記のほか、「SPYS」第2号(1994, SPRING)、「音楽と人」(1994年3月号)上での発言も引用した上で、小山田は「ウンコ喰わしてバックドロップ」のようないじめ自慢とも受け取られる発言は本意ではなく、そうした編集や記事作りを望んでいなかったことは「明らか」であるとする*2。
対して、「ROJ」側はアーティスト側に原稿チェックをさせない方針をとっていたこと、「ROJ」の取材姿勢が他誌にはない独特の強引さを伴っていた*3ことに加え、
「ROJ」がリニューアルを図るために、当時の編集長たる山崎洋一郎が新たなロックを紹介する媒体として新たに位置付けされるために小山田の「20000字インタビュー」を取り上げたのでは、とする。
片岡は、当時の「ROJ」のTHE YELLOW MONKEY担当の編集部員であった井上貴子が山崎洋一郎との対談記事にて「(掲載号の表紙が小山田圭吾だったことを受けて)今月の表紙はどう見たって「彼氏にあげる手編みセーター」である」と旨の発言していたこと、翌月の「ROJ」にて兵庫慎二編集部員もまた「小山田とかって、殴ったら泣きそうじゃないか」という発言をしていたことを受け、「ROJ」上での小山田を取り扱った特集は編集部全体の総意ではなかった可能性を指摘する。
その上で当時の山崎は、既存のロックミュージックの再編が求められているという問題意識を抱えており、これまでのロックとは一線を画した小山田を評価するために、いじめ発言を必要としたのではないか、と片岡は推測している。
そこで山崎は、まず小山田を日本のロック・シーンに対する「イヤミ」が具現化したような存在として捉える。そして、小山田が学校生活の一幕を振り返る中で口にしたいじめ発言を参照し、自分では手を下さないというその「ヒ弱」さを20代のミュージシャンとなった現在の彼の態度にそのまま当てはめる。
(p.71)
さらに、小山田に対して以下のような人格プロデュースを山崎は行なったのではないかと推測する。
山崎洋一郎は、いじめっ子ぶっていても所詮は「ヒ弱」な、しかし圧倒的な才能を持ったもったやさぐれものというアーティスト・イメージを小山田圭吾のために用意した。
(p.74)
これより、山崎洋一郎は既存のロックミュージックシーンの再編を担う存在の一エピソードとして紹介するだけでなく、小山田自身の「オシャレ系」というイメージを覆し、保守的なロック愛好家に対しても重要なアーティストであることを認知させるために小山田の語った「20000字インタビュー」でのいじめ発言を使ったのではないか、としている。
しかしながら、上述したとおり小山田自身はいじめ発言が含まれた「20000字インタビュー」が掲載された直後から、繰り返し内容への違和感を公にしていた。
片岡は、その理由として「20000字インタビュー」本文自体に顕著な歪曲や曖昧さが含まれていたことを挙げている。週刊文春:2021年9月23日付での中原一歩による小山田のインタビューを参照した上で、
要するに、やはり「ROJ」の記事(とりわけ見出し)ではふたつのまったく異なったエピソードが混合されていたわけだ。そして排泄物のエピソードには何ら加害性は感じられない。
(p.79)
片岡は、中原一歩による小山田のインタビューは
(いじめ発言を発端とした炎上事態を)取り繕うための偽りではなく、実際にそうだと信じて良いように思われる
(p.79)
とし、その理由として
①「20000字インタビュー」直後における、記事が読者に与える印象を心配し、困惑を表明していた反応と、中原一歩による小山田のインタビュー時の弁明の態度を比べた際に、整合性が取れているため
②「ROJ」の「20000字インタビュー」と「いじめ紀行」を掲載したクイックジャパン第3号の記事内容と読み比べると、前者の内容がかなり信用できないことが実感できるため(クイックジャパン第3号の「いじめ紀行」では排泄物のエピソードは出てこず、自慰強制については他者の行為であることがはっきり語られているため)
また、片岡は小山田がなぜ「ROJ」(もしくは山崎洋一郎)による人格プロデュースを受け入れてしまったのかについて、小山田が「ナメられる」ことの拒絶という形でイメージ再構築の意思を表明していたことに着目する。
(...)そして彼は、所属レコード会社ポリスターの駐車場で他社の社長に胸ぐらを掴まれたり、地方の雑誌社での取材時にトイレでその社の重役に殴りかかられたりといったエピソードを披露する。(...)
(p.83)
片岡は、小山田がイメージ再構築のための「ぎこちなくもあれば誠実な物でもある」模索の中で、「きわどいことや、露悪的なことを口にすることがあった」とする。
そして、「20000字インタビュー」が、「ROJ」編集部による歪曲・誇張を受けてしまうとともに、こうした歪曲・誇張が当時の小山田のイメージ再構築に逸脱していた故に「僕こないだのインタヴューに、少し後悔してるところがあります(笑)」といったような不満をこぼしていたのではないかとしている。
私見メモ
一年ぶりに再開です。
小山田がいじめ発言を山崎洋一郎により教唆させられていたとも取れるような解釈ですが、そもそもはきわどいことや、露悪的なことを口にすることがあった小山田自身に問題があったのではないでしょうか。
山崎がイメージ一新のために小山田を利用したかどうかについては、あくまで片岡氏による推測でしかないというのが残念なところであります(てゆうかこの本はほぼそういう作りなんですけどね)
*1:「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」などコピペとして広く蔓延したインタビュー。こちらの本文は自分でお調べください
*2:片岡は、レコード店主催者:仲真史の文を引用し、こうしたいじめ発言が掲載されたことは、小山田のマネジメント担当も困惑していたのではないかとしている(YMOは仮想敵|仲真史 NAKA BIG LOVE RECORDS TOKYO|note、但し理由とした箇所は記事購入が必要)
*3:片岡は、小山田本人が「音楽と人」(1995年12月号)でのインタビューにて、おそらく「ROJ」と推察される誌の取材姿勢が「(自分が取材に対し)無抵抗主義」であり、「質問が『そうだろそうだろ』って強要の雑誌だった」と発言していたことに着目している