2020年8月
ぼくには任されなかったプロジェクトを進めるために、おじさんがぼくの仕事机の近くに頻繁に来るようになる。他の仕事をたくさん抱えたぼくの先輩社員に対してどぎついダメ出しや公開説教をはじめるようになったので、ぼくは耐えかねて廊下に置いてあった共用の机で仕事をするようになる。おじさんアンチ派の社員の方から心配してもらったり声をかけてもらったりする。
部署のリーダーの上司(要はかなりえらい人)が相談に乗ってくれる。おじさんにはちゃんと注意しておく、そんなおじさんの言うことなんていちいち気にする必要はない、先輩社員と共にしっかり仕事をすることが大事だと言ってもらう。でも、部署変更の話は断られてしまう。
同じ事務所で働く社員さんたちの中にもおじさんのことを煙たがっている人が多くいることを知る。しばらくの間気持ちが楽になる。
でも先輩社員が一生懸命仕事のやり方の説明をしてくれてるのに頭が混乱してしまっていてちっとも理解できない。
家では麦茶ポットを落として床一面に麦茶をぶちまける。
2020年9月
違う部署でサビ残が強制されていたことが発覚する。でも人事部かなんかに注意されて終わりだっただろう。
部署の人事異動と再編が行われる。上司が変わる。
上司はとても良い方だった。しっかりと仕事を割り振ってくれた。話を聞いてくれた。
新たな部署内でミーティングが行われることとなる。毎週毎週おじさんの独壇場と化していたのでぼくは半分も話を聞いてなかったと思う。
新人を対象とした社内プレゼンテーション大会が10月末に行われることが決定する。ぼくは舞い込んできた仕事を題材にスライドを作ることにする。
ぼくの部署の同期はおじさんの全面的なバックアップを受けながらスライドやプレゼン練習を行っていた。
ぼくにはスライドを作っても見せる相手がいなかった。先輩社員は自分の仕事を多く抱え、他部署の人たちもそれぞれの仕事で手一杯だったからだ。
不公平な感じを抱きつつも、おじさんに教えを乞えば自分の心が傷つくだけなのでどうにもならなくなってしまう(同期もおじさんに拘束されてばかりでだいぶ辟易していたが)。
結果的に、他部署のプレゼン経験豊富な同期にスライドを一から作ってもらいながら準備を進めることとなる。
地元に帰るたびに安心し、自分の家に帰る日が近づくと自分がもう死ぬんじゃないかという強い不安を感じるようになる。
仕事場に戻りたくなくて知人の前で大泣きする。
転職を本気で考え始めたのはこの頃だったと思う。転職サイトに登録する。
2020年10月
部署内のミーティングで再びおじさんが新人に新たな課題を持ちかけようとしてくる。良識のある隣の部署のマネージャーがなんとか阻止してくれる。次の週から部署内のミーティングは無くなった。
ぼくの部署から同期が一人退職した。
おじさん主催で隣の部署と合同のプレゼン練習大会が開かれることになる。大会前日まで仕事もちゃんと進められていたし、プレゼンの練習も自分なりに行っていた。
…なんでだか知らないけど練習大会当日のことをよく記憶している。夜はちゃんと眠れなかった。なんとか眠りにつけたが、朝起きた時にはすでに動悸がしていた。
それでも会社に行き、仕事をしながら時間が来るのを待った。時間が来るまでは、隣の部署のマネージャーも来てくれるのでおじさんの独壇場になることもなさそうだから、練習どおりにやればそれで済む話だろうと思っていた。
練習会の時間になった。おじさんの声が聞こえてきた。
隣の部署の先輩社員のAさんがまだ会に来てないことが不満らしい。
「Aに伝えとけ、他の仕事全部いいからこっちの練習会を優先させろ」
おじさんに接触せずにしばらく過ごせていたのでなんてことなく練習に参加できると思っていたのだが、大間違いだった。
6月の研修のことを思い出して、冷や汗とともにものすごい動悸が襲ってきた。
先輩社員と同期に「ずびまぜぇん…ぼくぅぎょうはむ"り"み"だいでずうう…」と息も絶え絶えに伝え、保健室に直行した。
1時間保健室で寝かせてもらった。寝たあとは普通に仕事ができた(今考えると躁状態みたいなものに陥ってただけだと思う)。
後日、おじさん抜きでプレゼンを見てもらう。
重症になることはもうなかろうと思っていたが、翌週から動悸、喉渇き、不安、泣きたくなる、死にたいなどのいろんな何かが仕事中にかわりばんこで襲ってくるようになる。
料理をするたびに包丁で指を切ることが多くなる。アボカドの皮を剥いていたら親指の皮をざっくりやってしまったこともあった。
出勤前に洗面所の前で崩れ落ちて泣いてしまう。
観念してメンタルクリニックへ行く。たくさんのお薬をもらう。よろこぶ。
それからは薬を飲みながらだましだまし働くようになる。
夕食後に飲むよう言われた薬を服用すると効き目が強すぎてすぐに寝落ちしてしまう生活が続く。
料理をする元気がなくなる。うどんやお粥など消化にいいものばかり口にするようになる。
プレゼン大会予選でハナから目指してもいないのに予選突破してしまう。正直審査員の方からの同情票だと思う。仕事に加えてまた新たに負荷が増えたとしか思えない。さまざまな部署の人から期待されるのがつらい。おじさんからおめでとうと言われる。ほっといてほしい。
2020年11月
残っていた新人研修がようやく開催されるが、なぜかおじさんも参加しており、案の定おじさんの独壇場と化している。ぼくはパニックになってしまう。
おじさんの存在がとにかく体に悪い事がわかったので、社内にある個室型の会議室を借りて仕事をするようになる。
それでも仕事をしていると突然呼吸が激しくなって何もできなくなったりするようになってしまい、早退することが多くなる。上司の方に車で送って頂いたこともあった。
自分の住んでいる街そのものが憎く思えるようになる。
LinkedInに登録する。すでに地元に戻り近辺で働くことしか頭になかった。職務経歴書や履歴書をネットの見様見真似で書き、自分の業績をだいぶ盛って書いてみる。転職エージェントと連絡を取り合うようになる。
はじめての転職面接には落っこちたけど自分のペラッペラな職務経歴書でも面接まで進むことができると知り自信になる。
最終的には会社で転職エージェントと電話したり職務経歴書やエントリーシートを書いたりする屑と成り果てる(仕事はそこそこにやってた)。
プレゼン大会本選に向けた練習会を開いてもらう。いつにもましてボロボロな発表をしてしまう。マネージャーの方はフォローしてくれたが、完全に自信を失う。
上司と今後について相談する。
プレゼン大会が今の精神状況ではとてもじゃないが参加も発表もできないこと、会社にいること自体が辛く、もう部署変更どころかこの会社に残る意思がないことを話す。
プレゼン大会は辞退させてもらえることとなる。上司は転職の意思を後押ししてくれた。
休職し、精神面の健康を取り戻すとともに転職活動に集中する意向を固める。
2020年12月〜
上司とともに保健室により、保険医さんに休職の手筈を教えてもらう。
保険医さんから当時通っていたメンタルクリニックはハズレだったという衝撃の事実を聞かされる(薬出しすぎて廃人になってる社員を知っている、医者が患者をどやしつけたというウワサがある等)。
最後の出勤日にプログラミング師匠に会い、休職する意思を伝える。1ヶ月くらい前に退職した他部署の新人もおじさんが原因で退職したことを教えてもらい驚愕する。
休職する。実家に帰る前に映画を観たりして過ごす。
実家の近辺で新たにメンタルクリニックを探し、通院することとなる。
この時、自分の病名が適応障害であることを知る。お薬を大幅に減らしてもらう。
本を読んだり映画を観たりしながら転職活動を進める。
たいしょく。てんしょく。
こんな経緯です。最終章へ→④